2日続けて 脱線します
近日 本線に戻ります
唐突ですが
私は 両親を自宅で
介護する気がありません
というより
まったくできる気がしないんです
曾祖母の認知症をきっかけに
作業療法士を目指し
現在は認知症の専門病院で
働いていますが
私生活では 食べるのは大好きでも
料理は嫌いで
夫とこども(遊びの延長で行っているようです)に
丸投げ
床に落ちたほこりは 気になるから
せっせと掃除するけれど
棚のほこりは気にならないので
たまに というような
なかなか偏りのある お人柄(自分でいうの?)
ですので
この選択も 私の中では妥当です
職場で
認知症のある患者様と過ごすのと
自宅で
認知症のある家族を看るのでは
雲泥の差がある ということを
鹿児島の祖母が
身をもって教えてくれたので
今のような 介護支援の環境では
私にはムリだろう と思っています
なんせ私は 子育てでも
たやすく追い詰められた人です
鹿児島の祖母は
大正生まれの人で
看護師をしていました
祖母の作る
さつま揚げや五目御飯は 絶品でした
端午の節句には
「あくまき」「砂糖まき」 という
筍の皮で包んだ 鹿児島のちまきを作って
毎年欠かさず 送ってくれました
私の好物でもあり
認知症が進行して 作れなくなるまでは
ずっと 続けてくれていました
もう食べられないのが 悲しい
母は退職まで 高知の山奥の
地域包括支援センターで
保健師兼ケアマネをしていました
認知症の症状が
目立ち始めた祖母に
親孝行がしたい と定年後
鹿児島に戻ったのですが
祖母の認知症の症状は
母の予想を
はるかに超えていたそうです
「私は
介護者の支援経験もあるから
介護もできると思っていた」と母
いやいやいや
それは甘いですよ 母上
夏季休暇に
鹿児島に帰省した私は
真夜中
不穏になる祖母に対応して
連日
睡眠不足になっていた母に
「今日は 私が看る」
と言い放ち
祖母に付き添いました
23時頃
寝ていた祖母は起きだしてきて
夢か妄想の世界にいる様子
まだ 私を認識しています
祖母にとって 私は初孫で
孫の中でも別格の
かわいがられ方だったそうです
1時
ウロウロと部屋の中を
歩き回る祖母に
寝ようと声をかけるものの
祖母の目が
ギラギラしてきている様子
草木も眠る 丑三つ時
ということばを 突然思い出し
めちゃくちゃ怖くなる私
3時
部屋にあった鏡に向かって
祖母が 話しかけ始めた
夜中に三面鏡を見たら
ヤバいものが
映るかも知れないのに・・・
私の思考は
小学生向けの怪奇スペシャルの影響を
ふんだんに受けています
この時の祖母は
目元が寝不足でくぼんで
「人ならざるもの」の 気配を
漂わせており
薄暗い部屋で 鏡に向かって
私に対する文句を
言っていました
もう私については 知らない娘 のようです
なんか鏡から出てきたら どうしよう
チビっても不思議ではないほどの
ホラー感でした
5時
窓の外が明るくなり
早起きの人の
生活音が聞こえはじめる
おばけの時間(真夜中)は
終わって
心底 ホッとしたけれど
私は・・・ この部屋は・・・
世の中から
隔絶されているんじゃないか
という 気もちになりました
起きてきた母が
私の顔を見てニヤリとし
「あまり関わらない方が
良かったんだよ」
と 労いつつ
いまさらのアドバイス
いまなら その通りと思います
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました