年初にアップしなかった記事がどこかへ行ってしまっていましたが、

見つかったので忘れないようになくさないように UPします。

 

👇ここから~

 

 

2025年にやり残したことがたくさんありましたが、

毎年の事でもあり、何もなかったかのように

2026年は始まっています。

 

中性脂肪をなんとかしよう、

死ぬ時には何も持っていけないんだから持ち物を減らそう

他にも持ち越し案件が沢山あり、考えるのも嫌になります。

 

でもなんとなく頭から離れないことがある。

知識が足りないから 誰かにお尋ねしたら教えてくれるかしら、

こんな私に教えてくれるかしら。

「そんなことも知らないの?」とあきれかえるようなレベルの

沢山の知らないことも。

 

 

それは

GORO IN NEW YORKのあたりのこと。

 

私は1977年あたりから 五郎さんから離れていて

カリーヘアになった姿をリアルタイムで見たことがなかった。

レコードジャケットかなにかで 後に見ただけ。

単に当時の流行だと思っていたら、

カーリーヘアになる経緯には筆舌尽くしがたいたくさんの行き違いや、

ビジネス上の紛議があったことを 著書「僕は何者」で少しだけ知った。

壮絶なやり取り。人間関係の破綻もあったようだ。

 

そして胸が詰まった。自分の見識の狭さが恥ずかしかった。

デビュー以来ずっとファンだった方が大半で、

当時の記憶も鮮明でしょうから

その時、何をどう思って応援していたんだろう。

 

 

 

ゴローさんは、時々ニューヨークでのレコーディングのことをブログに書いたりされる。

 

そのアルバムがテーマのBLUE NOTE TOKYOへは私も行きました。まだコロナも気になる頃でもあり

私は1人で2席予約させてもらいました。

 

 

 

 

1977年リリースのアルバム「異邦人」の頃は、私は既にファンではなくなっていて、ずっと後、1980年代後半にレンタルレコード屋でアルバムを借りて聴きました。

 

音痴なせいもあり、私は曲よりも 松本隆氏の詩の世界が好きでした。

あの頃聴いていた カシオペアとか高中正義と同じ感じの軽さが心地よかった。

アイドル全盛なのに1977年で既にこの曲調で、令和の今、評価が高いのもうれしい。

 

五郎さんがいつも熱い気持ちで語られるニューヨーク録音なのに、ファンとしてたったこれっぽっちの感想でよいのだろうか。

軽く耳触りの良い曲も、軽く作られたわけではないかもしれない。

 

あのスタジオで いったいどんなことがあったのか。

語り継がれていることだけでなく、経済危機だったといわれる時代背景を含めた伝説の録音、その史実が知りたい。

「僕は何者」を何度も読み返してみた。

 

メディアサウンドスタジオが、五郎さんは「教会だった」という豆知識を披露したいだけではない おそらくそこには何か音に関するリアルも秘められているのではないかと気になって仕方がない今日この頃う🍏。

 

下記画像は 2016-09-27 00:06:54 の公式ブログより 引用

僕は何者❓4 | 野口五郎オフィシャルブログ「GOROの楽が来帳 ...

 それから、アナザースカイについても気になるわ。

 

何でもいいので、当時の事、知りたい。
 
とりあえず NYCへ行く?