清は厳しい軍隊生活の中で、朝5時に起きると、木炭自動車の設計を行い、それを大阪に送って試作させ、また東京へ持って来させるということを、実に 70 回も繰り返した。
そして、ついに清は、多田式木炭車を完成させてしまった。その発明特許は16にも上った、という。
*招集された兵舎(東京)と大阪の会社を社員は70往復もしたという。普通の人では絶対にできない。
*特許の内訳は勝山城博物館に展示してあった。それを写真で写したのだがどこかに迷い込んでしまった。
再現して走らせた。
時を経ずして、太平洋戦争に突入すると、清の予見通り、ガソリンは急激に不足し、ついにはガソリンの配給が完全にストップ。
そして、ガソリン車、休車命令が発令されることになるが、この時にはすでに相互タクシーは600台の木炭車が稼動できる体制を整えていた。また、部下に大量購入を命じたタイヤも急速に不足したが、清は倉庫一杯にあふれるストックを抱えて、同業他社との経営体力に大きな差をつけた。
また、一億総決起で戦意が最高の高まりを見せていた頃、清は会議で開口一番、「今日から経理、営業部長らは中之島の図書館に通って勉強をしてもらいたい。ドイツが第一次世界大戦に負けた直後の経済状況を調べて、1週間後に報告書を出して欲しい」と言った。
「なぜ」といぶかる重役、幹部をよそに、「敗戦に備えて、インフレ経済を研究して来いと言ってねんや」と続ける。
「敗戦ですって」。ようやく口を開いた重役、幹部らが「それじゃあ、非国民じゃないですか。憲兵に聞こえたら、ただでは済まないですよ」と議論になったが、清の意志は変わらなかった。変わるどころか、「あわせて金、銀、の価値がどう変わるかも調べてくるんだ」と付け足した。
資料を検討した結果は、「戦後のインフレ対策は、山林を買う、土地を買う、平和産業(軍需産業ではない)の株を買う」というものだった。
清は、これらのインフレ対策をすぐに実行に移した。
そして、山林は昭和38年頃までに京都府で 58 山、大阪府で 65 山を買占め、平和関連産業の株購入に至っては昭和39年頃までに約6,000株(数字の間違いか単位のまちがいだろう?)、 93 銘柄に及び、当時の時価総額で約65億円にも達した。
*昭和39年頃大卒の初任給が2万円前後
⑩ 「先見の明」と「実行力」が凄い
後に、木炭車の燃料確保に端を発した山林の買占めは、植林事業として受け継がれ、戦後の地価高騰時代には計算のしようもないほど莫大な資産となる。
さらに、一流上場企業の株主となったことで、その受取配当金は半期で5億円にも上る多大な収入源となり、相互タクシーは戦後の混乱の中で、名実ともに大阪のタクシー業界の中でも群を抜くトップ企業に成長するのである。
こうした多田式経営は、ほどなくして経済界にも響き渡り、当時、経営の神様と言われた阪急の総帥・小林一三が、阪急バスの経営を頼み込んだという逸話も残っている。
*大阪商工会議所 会員企業一覧 多田清より
偉いやっちゃなあ~、晩年はやっぱりボケていたんやろなぁ~
ーーーーーーーーーーーーーーー
〇柳 児
日本では どうしてだめか さけたばこ
*宮田笙子ちゃんにふられたのよ
見逃す人と見逃さない人
見逃さない人をふっちゃった
よくわからんけど
競うのは 運動能力 それだけです
*運動能力と演技力があればもっといいよ
#アダルト女優に変身
今井メロ(元スノボ選手:今井夢露)
新海咲(元水泳選手:小嶋美紅)
早咲爽(元陸上選手:松田奈実)
浅倉陽菜(元陸上選手:大久保美里)
青木桃(元水泳選手:阿部星架)
〇小 彦
いつの世も まともな変化は 田舎から
*都会 人間関係 ≧ 自然の中
田舎 自然の中 ≧ 人間関係
そういえば 由紀夫に似ている 進次郎
*まあ、岸田も似てるかも
リーダー? 否、ついていく人 汗をかかない人
アメリカさ~ん!中国さ~ん!有権者さま~!
〇リタイアボケじいさん
また(又)投稿 以前の川柳 ボケたかな
週一の 健康麻雀 ボケ防止
*週の6日はボケてるんだ
麻雀の仲間はオバちゃんだったよ~
〇忘己利他老
この暑さ 煎餅より 水ほしい
*奈良の鹿 煎餅は喉が渇くんだな~
本当はビールの方がいいんだけど・・・・
スポーツドリンクでも、まあいいや
ーーーーーーーーーーーーーー