誰に殺されたのか(樺美智子さん ③) | akm48

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この60年安保で、日本がKGBなどの謀略工作で混乱状態になった可能性はあったのか?
『ミトロヒン文書Ⅱ』第16項 JAPAN にはこう書かれているという。

KGB東京支部は冷戦時代を通じ、日本の対ソ外交政策をソ連に有利なように仕向けるため、積極的なウラ誘導工作=アクティブ・メジャーズ(積極工作)に力を入れた。とくに、日本とアメリカの間にくさびを打ち込むことが優先された。
なかでも、60年安保闘争の際にいくつかの工作が行なわれた。そのひとつは、予定されたアイゼンハワー米大統領の訪日時にいくつかの破壊活動が行なわれるかもしれないという不穏情報を流すことだった。
また、KGB本部の対外部門である「第1総局」内の欺瞞情報・秘密工作セクションである「A部門」が偽の日米安保条約付属書作戦を企画し、KGB東京支部が実行した。これは、「日本国内の暴動を鎮圧するために米軍の出動を認めるなどの旧日米安保条約の協定が、極秘で継続されることを確認する秘密付属書がある」という偽情報を流すことだったが、これはいくらかは安保反対の学生運動を鼓舞することに成功した。

ちょっと横道にそれるが、『ミトロヒン文書Ⅱ』にはこんなことも書かれている。
70年(昭和45年)2月26日に、ソ連共産党政治局は、日本社会党とその機関紙に助成金を支給するために、合計10万ルーブル(当時、3571万円)の支出をKGBに承認した。類似した助成金は、毎年払われたようだ。
その内訳は、
●6万ルーブルは政治資金として社会党議員個人に渡された
●1万ルーブルは日本社会党とソ連共産党の交流資金
●2万ルーブルが日本とアメリカおよび中国との関係に打撃を与えるアクティブ・メジャーズ工作資金
●日本社会党に公明党や民社党など他の野党と提携させないためのアクティブ・メジャーズ資金

その当時はソ連はお金を持っていたのであるな。
ソ連崩壊後、先進地域が独立したため、ロシアは貧しくなった。

樺美智子さんの死で流れは変わった。
樺美智子さんの死を知って岸信介総理は心境を述べた。
「樺美智子の死亡事件によって私は最後の決断をしたんです。反対派のデモによって盟邦の大統領に危害が加えられるとか、アイク(アイゼンハワー米大統領)を迎える天皇陛下に何かあったということになれば、総理大臣として本当に死んでも償いがつかないということで、アイク訪日の断念を決意したわけです。」

6月16日(樺さん死亡の翌日)、政府は臨時閣議を開いてアイゼンハワーの訪日延期要請を決定するとともに、同月23日の条約発効をまって岸首相も退陣を表明した。
もし、アイゼンハワーの来日を強行した場合、KGBなどによるいくつかの破壊活動が行われた可能性はある。
アイゼンハワーは訪日を強行するつもりでフィリピンまで来ていたのである。

この日米安全保障条約は10年間の期限付きであった。
昭和45年に期限が来たが混乱もなく自動継続され今日に至っている。
樺美智子さんの死は何だったのだろう。

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危機一髪!