親孝行する時間を与えてもらった | 顎骨骨髄炎と、CRPS慢性疼痛との闘い

顎骨骨髄炎と、CRPS慢性疼痛との闘い

顎骨骨髄炎の後に残る激痛の闘いCRPSと、顎を切除した後遺症で咀嚼障害で噛まなくて良い物しか食べられなくなり身体障害者に。その記録です。骨髄炎に関係ない記事も多々ありますが日々の日誌のつもりで書いてます。愚痴ブログです。ブログは私の愚痴の捌け口になっています。

大親友は突然死で亡くなってしまいました。
私の両親はどちらも癌で余命宣告受けましたが親孝行する時間を与えてもらったと思ってます。
もし突然死だったら多分気が狂っていたと思います。
お母さんは2年半、お父さんは半年でした。
お母さんの時もお父さんの時も毎日病院通いして看病してました。
お母さんの時は月に1回だけ東京に遊びに行く日がありました。
彼氏が東京にいたので彼氏に会う為に上京してました。
病院食は美味しく無いので夕食に間に合うように、おかずを作りビールが大好きだったのでノンアルコールビールと一緒に届けました。お父さんは糖尿病だったので糖尿病食を作り夕飯はいつも8時過ぎでした。
昼間も時間が取れたら病院に行ってました。私は接骨院の受け付けしてたので昼休みは1時間半しか無く、お父さんの昼ご飯作り自分も昼ご飯を食べて時間があれば。お母さんの病院に顔を出してという生活でした。月に1度の上京は彼氏に会う為でもありストレス発散でもありました。毎朝6時起き朝食作って8時半には診察開始。8時には待合室の鍵を開けて、続々とお年寄りの患者さんが入ってくる。受け付けしながら機械の取り外しも手伝っていたので忙しかった、お父さんが受け付けを雇うと言った時に私が頑張るから給料を上げてと交渉したので忙しくても弱音吐けなかった。
お母さんは医師の宣告通り2年半で亡くなってしまいましたが出来る限りの事はしたので後悔はそんなにありません、お父さんは毎日朝から晩まで付きっきりで看病したので後悔は無いのです。ただ東京の病院に連れて来てしまった事は後悔してます。地元の病院なら友達にも会えたし妹にも会えたし。でも東京に連れてきた事で半年間毎日休む事無く看病出来たのでそれは良かったと思います。