命日 | 顎骨骨髄炎と、CRPS慢性疼痛との闘い

顎骨骨髄炎と、CRPS慢性疼痛との闘い

顎骨骨髄炎の後に残る激痛の闘いCRPSと、顎を切除した後遺症で咀嚼障害で噛まなくて良い物しか食べられなくなり身体障害者に。その記録です。骨髄炎に関係ない記事も多々ありますが日々の日誌のつもりで書いてます。愚痴ブログです。ブログは私の愚痴の捌け口になっています。

今日は自殺者してしまった元彼の命日です。
16日深夜から17日未明と診断され17日が命日になりましたが16日の深夜に亡くなっていた可能性も高い、
自殺した元彼は私のお父さんの若い頃に似ていて私は元彼のお母さんに似ていたらしい。
付き合っていた頃に俺達が結婚して子供が産まれたらきっと⚪⚪みたいな子供が産まれるんだろうなと言ってました。⚪⚪は私の事。
彼氏彼女と言うより家族のような関係でした、彼氏は私といると母親と一緒にいるようだって言ってました。別れた原因は彼氏を12年間ずっと思い続けた女の子が余命半年の癌になり最後の時間を一緒に過ごしたいと言ったからだった。
1度だけ一緒に飲んだ事があり、その帰り道⚪⚪ちゃんが羨ましいと言われました。私は12年間⚪⚪君が好きで彼氏を作った事も無く一途に思い続けてきたの、私は⚪⚪ちゃんみたいに綺麗じゃないから諦めてるけど本当に⚪⚪ちゃんが羨ましいって言われました。私は返す言葉も無く、そんな事を言われてもなと心の中で思いました。
彼氏はイタリアンの社長でしたが売り上げがあまり良くなくて少しでも売り上げに貢献しようと騎手との飲み会でもよくそのイタリアンを利用してました。平日は彼氏が仕事終わるのを待ち一緒に彼氏の家に帰ってましたが日曜日は飲み会の後は騎手と一緒にホテルに泊まってました。
何も無いから良いだろうと思ってましたが彼氏は本音はよく思って無かった事が後に分かりました。
⚪⚪が死んだら俺が骨を拾う。
あいつらには拾わせないと言ってきました。
遺骨を拾うとか子供の顔の話までしていたから彼氏は結婚を意識してくれていたのだと思います。
でも突然別れ話をされました。
彼氏がちょっと用事があると言って夜出掛ける事が増えておかしいなと思っていたら、藤子が余命半年の宣告を受けた、残りの時間を藤子と過ごしたいから別れてくれと言われてしまいました。凄くショックだったけど12年間一途に思い続けた藤子ちゃんの最後一緒に過ごしたいって気持ちもよく分かったし、分かったと言って別れました。
藤子ちゃんが亡くなって最後の遺言は私と2度と会わないでだったそうです。藤子ちゃんが亡くなって10年以上経った頃に偶然会ってしまい、その時にその話を聞きました。
それからは友達としてたまに話をするようになりました。
彼女が出来て結婚を考えているという話も元彼の友達から聞きました。
そんな中、突然の自殺。
私は結婚して欲しく無くて藤子ちゃんが迎えに来たんだと思ってます。
暖房付けっばなし、本当に死のうと思っていたら暖房は消すと思います。今頃天国で藤子ちゃんと幸せに暮らしていると思います。
藤子ちゃんが癌にならなかったら、私の人生も変わっていたかもしれません。