岡山県井原市笹賀町の出部小学校の北西側に石鎚山の石碑がある。
ここの事は井原市史民俗編の778頁から780頁に以下のように記されている。
「笹賀町福原の大師庵跡に奉石鎚大峯大権現四拾貮度満行供養塔の石碑が立って
いる」「笹賀町福原に石鎚神社元老大顧問石丸治作碑が立っている」と記されている
この2基の石碑はいずれも石丸工務店の敷地と思われる、南側の石碑はこの地でよく
見る満行供養塔で北側の石碑は石鎚神社元老大顧問記念碑である。
また、石丸治作碑については「ふるさと探訪 出部の史跡(改訂版)」に以下の様に記されている。
「石丸治作は笹賀の人で、江戸末期より伊予国石鎚山に登拝し、日之出講(出部地区
の石鎚講社)を結成、その講頭として活躍した。また東洋大三備連合崇敬組合創立結
成にあたり、主要な推進者として活動した。大正8年、石鎚神社は全国の先達の中か
ら10名の功労者に銀笏を与えたが、彼はその内の一人であった。石丸治作の所有す
る会符番号は峯24番、彼は死の前年である昭和7年までお山を勤めた。行年77歳。
日之出講中部当番の春季大祭では石丸元老大顧問を偲び出部日の出講員全員がこ
の碑の前で拝んでいる。」と記されている。
石丸工務店南側の石鎚大権現の石碑
右の社には
石鎚蔵王大権現
そして隣にある石鎚大峯大権現の石碑
明治四拾貮年一月吉日
奉 石鎚大峯 大権現四拾貮度満行供養塔
正大先達貴宝院長学
石鎚山と大峯山共に42回登拝したのだろうか
それとも両方で42回だろうか?
いずれにしても素晴らしい内容の石碑である
石丸工務店北側の石鎚神社の石碑
立派な石碑で今も管理されている
石鎚神社元老大顧問石丸治作碑
同書には石丸治作は幕末より石鎚山に登拝し日之出講を結成したと記されている
裏側には「発起者日之出講 昭和三年四月建之
信徒中 本村石工 猪原善平 井上石造」
「やはり石鎚信仰はすばらしいと思う石碑」
旅する石鎚信仰者