浅口市鴨方町小坂西に石鎚山が祭られている、ここの事は鴨方町史民俗編の441頁
に以下のように記されている。
「指田の石鎚様 指田の西のはずれ、笠岡市の金山に通じる道路の南側にある。堂は
荒廃して、雑草におおわれている。指田の石鎚様の勧請の年代は不明であるが参道
に石碑が立っている。」と記され、この石碑の写真が掲載されてある。
位置情報は乏しいが石碑の写真がある事から無事に発見する事が出来たが、この石
碑に石鎚の文字は無く、知っていなければ何の石碑か分からないだろう、そして石碑
の奥にあったとされる石鎚の堂は発見する事はできなかった、それらしき森はあるが
容易に入って行けるような場所でもなく奥までは入っていかなかった。
しかし発見した石碑は本に掲載されているものと間違いなく石鎚山の石碑であること
は明確である、そして本には「指田の石鎚様の建物の一部は、大内の石鎚様に移し
たともいう。」と記されてあり、この大内の石鎚様とは現在の石鎚神社鴨方遥拝所の
事である、ここは既に訪問済で、もしかしたら社殿の神額はそうかもしれない、「やはり
石鎚山はすばらしい」と思う時であるm( _ _ )m
現地へ行って見ると
石鎚様の石碑は今もひっそりと立っていた
傷みもなくすばらしい状態
石碑の上部は何となく石鎚山のようにも見える
9名の発起者氏名
石碑裏には「大正十一年四月吉日建之」
石鎚様の石碑の裏にはもうひとつの石碑が横たわっている
たくさんの氏名と「大正十一年」と読める
参道が続く奥には森があるが建物は見つからなかった
この石碑に石鎚の文字は無いが
この奥に石鎚山が祭られていたのである
今も残っていて良かったと思う時である
「やはり石鎚山はすばらしい」
旅する石鎚信仰者