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岡山県井原市高屋町銀山谷に石鎚大権現常夜灯がある。
ここの事は井原市史民俗編の石鎚様一覧表の頁に以下のように記されている。
「9 高屋町銀山谷 道路わきの照夜燈に、天照大神宮、吉備津彦神社等の名称とともに、石鎚大権現と彫られている。明治九年六月に建立されており願主藤岡講中とある」と記され更に「10 高屋町銀山谷7904番地 石鎚様の近くに道通様、稲荷社の小祠
もある。石鎚先達であった藤岡定吉が勧請した」と記されている。
そして石鎚大権現常夜灯は位置情報が非常に乏しいが10番の番地近くの交差点に
あり、無事に両方とも発見する事が出来た、常夜灯には今も「石鎚大権現」とはっきり
読み取る事ができるが、10番の先達の家もそうだが何故ここが石鎚山勧請地として
井原市史に記されているのかが分からない、しかしながらこの本に記されていなかっ
たら僕がここへ来ることは無かったと思うし、これも石鎚山を極める旅という意味では
必要な所だったのかも知れない、そしていつも最後に思う事はどこの石鎚山へ来ても
同じである。
これが石鎚大権現常夜灯
前後には古い山道が続いていて旅の要所となっていた感じの所
全体的に少し傾いているが風化もなく痛みも少ない
上部常夜灯の部分に「石鎚大権現」と彫られているはず
そして右面に「石鎚大権現」と彫られてある
「明治九丙子六月建之 願主藤岡講」とはっきり読める
そして10番の高屋町銀山谷7904番地へ
常夜灯のある所から右奥に見える家がその番地である
表札は「藤岡」となっていたが不在で
人が住んでいるのかどうかも分からなかった
ここで間違いないと思うが、なぜ元先達の家が石鎚山勧請地として
この本に記されているのかが分からない
そして「またひとつ石鎚山に近づく事ができた」と思う
旅する石鎚信仰者