2020年5月 愛媛県 八幡浜市 川之内のお山踊り「石鎚権現踊り」 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

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川之内の山踊り「石鎚権現踊り」

この事は「八幡浜の石鎚信仰(1)-川之内のお山踊り-」という資料があり、以下の

ように記されている。

川之内の石鎚信仰は江戸時代にまでさかのぼる。『愛媛縣社寺一覧表』によると、天明年間(一七八一~八九年)に地区内に悪病が流行したとき、村内の申し合わせで石鎚山より権現を勧請し、川之内村碁盤ヶ峠に鎮座させたといわれている。現在は古藪の白王神社の境内社として石鎚神社があり、また夜昼峠の脇にある千賀居森神社にも石鎚が祀られている。
 川之内では、石鎚山のお山開きとほぼ同じ時期の毎年旧暦六月九日に近い日曜日に、地区の中心地でもある大元神社脇の敷地で「お山踊り」という石鎚信仰に基づく芸能が行われる。「石鎚権現踊り」、「シデ踊り」とも呼ばれるが、この種の芸能は大洲市高山や野村町惣川など南予地方の各所に見られるものである。
 お山踊りには派手さはなく、単調であるが、会場では四隅に竹を立て、注連縄を張り巡らし、その中で踊り手が浴衣に下駄履きで両手に女竹の先に五色の御幣を付けたシデを片手で二本ずつ合計四本持ち、太鼓に合わせて踊る。御詠歌調に念仏を唱え、時計回りに静かにまわり、途中何度か足を踏みならしながら「ナンマイダ」と唱える。踊りが終了すると、注連縄が切られ、世話役により切られた注連縄を結んだシデが各家々に配られる。これを玄関、納屋、村境などの飾って悪病除けとするのである。なお、現在では行われていないが、戦前にはお山踊りの当日早朝には大元神社で全身水をかぶって水垢離を行っていたという。
 このお山踊りの始まりについては不明であるが、川之内には踊りの台本として、慶応二(一八六六)年の石鎚の御詠歌を記した写本が残っている。この中には石鎚山参拝による御利益、特に悪事災難除けの御利益があると唄われており、また「家内安全悪ヲ除ク御祈祷」と記されている。西海賢二著『石鎚山と修験道』によると、南予地方のお山踊りは明治二、三〇年代に石鎚神社の先達により各地に伝えられたとされているが、慶応年間の台本が川之内に残っていることから、踊りの始まりは江戸時代末期であり、しかも川之内の踊りは南予でも古い部類に入ると推測できるのである。

そしてこの資料に記されている川之内の2つの石鎚山、白王神社の石鎚山は2014年

3月、そして千賀居森神社の石鎚山は2014年2月に訪問済である。

今回、新たにこの資料に目を通していて気になったのは、「川之内では、石鎚山のお山開きとほぼ同じ時期の毎年旧暦六月九日に近い日曜日に、地区の中心地でもある大元神社脇の敷地で「お山踊り」という石鎚信仰に基づく芸能が行われる。「石鎚権現踊り」、「シデ踊り」とも呼ばれる」という部分である、そして今年の旧暦六月九日

は7月29日水曜日であり、前の26日か後の8月1日の日曜日にこの踊りが行われること

になる、しかし現在もこの踊りは行われているのだろうか?普通に考えて今も続いてい

るとは考えにくいが余裕があれば当日確認に行ってみようと思っている。

そして何より、この石鎚権現踊りが行われている「大元神社脇の敷地」は現在も実在し

ているのだろうか、今日はこの敷地を確認しに行ってみたm( _  _ )m

 

 

 

 

 

 

 

 

「川之川地区の中心地でもある大元神社」

とはここの事である

 

徒歩に切り替えて農道を上がっていくと

 

近年参道が整備されている様子

 

下りていくと、大元神社境内の一段上に広場が

ここで石鎚権現踊りが行われている様子

荒れている様子もなく今も続けられているのだろうか?

 

広場奥にある大元神社

 

歴史も古く地域の方に信仰されている様子

「やはり石鎚山はすばらしい」

 

 

 

 

 

 

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