2017年8月 愛媛県 越智郡上島町 佐島の石槌山 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

@91

 

愛媛県越智郡上島町に佐島という島がありここに石槌山がある

ここの事は西海賢二氏の「生活のなかの行道」という本に以下のように記されている。

「佐島の中央には向かい合った二つの山がある、北の山が横峰山(佐島四国六

十番札所横峰寺がある)、南の山が石槌山(六十一番札所香園寺がある)であ

る。~省略~石槌山は、頂上に巨石が点在しており、室町時代には村上水軍の見張所(狼煙台)があったという。」と記されている。

毎度の事ながら石鎚山があるという話で、「この石鎚山へ行った ! !」という話ではなく、

登山口がどこで、石鎚山頂に何があるのかは記されてなく、いつものようにググっても

ヤフっても出てくるはずが無く、実際に行くまで何も分からない石鎚山である(^_^)。

先に書いておくと、この島の石槌山には無事に行けた訳であるが本には北が横

峰山南が石槌山記されているがまったく逆であり、北の山が石槌山であった。

そしてこの佐島の石鎚山は「石槌山」がどうも正確な表記のようである。

現在は生名島・佐島・弓削島は橋で結ばれ車で行き来できる、しまなみ海道の因島か

ら生名島へフェリーで渡り佐島へ、今回の石鎚山は島四国の道沿いのようなので

薮漕ぎはないようだがなめとったら進退極まるのでどうなってもいい格好で乗り込む

観光案内所がある訳でもなく佐島港前に意味も無くたたずむ老人に石鎚山を尋ねた

何と一発でヒット「石鎚山はこの先に行けば誰でも知っている」と石鎚山の方を指差し

方向だけを確かめた、どうも登山口の説明は難しいようである、そこへ男女の高校生

現れたので再度確認してみたのだが何とここで目まいがするような返事がかえっ

きた、この島の石鎚山どころか、この島に88ヶ所も点在しているはずの島四国の存在

はもちろん、更には四国八十八ヶ所霊場が何の事かさっぱり分らず知らぬぞんぜぬ

同じ島に住むお年寄りは知ってて当たり前の事が、この島の若者には何も伝わって

ないのである、この2人の若者はこの島で生まれ育ったのに知らない事がある事に

思議がっていたが、これが現実なのである。

時代の流れと言うものは、このような場所の若者さえも生活習慣や考え方を変えてし

まったのか? これでは信仰心がどうこう言う以前の問題であり、何とも次に言葉が出

ない出来事であった(>_<) ! !

そして石鎚山登山口へ、この先、人に聞けば分ると言われたものの誰1人居ない

しかし海岸線を進むと横峰山登山口を示す看板を発見、無事に横峰山山頂へ立った

予想以上に道ははっきりしていて薮漕ぎなし、横峰山の横峰寺は立派なものであった

そして自分的に察している頂(石鎚山)はここから北方向に見えている、石鎚山より向

うから来たのに途中に分岐はなかった、まぁここから石鎚山まで100mもないので、

どうなってでも行く事はできるだろう、そして横峰山山頂から登山道をほんの少し北へ

戻っ所に北に入る道を発見、尾根上を石鎚山へ進んでいる、ここが石鎚山への道

である。

石鎚山山頂は本に記されるとおり巨石が点在していた、石鎚蔵王大権現・石鎚大神

祀られ歴史も古そうであり、これは立派な石鎚山である。

高い位置に石鎚蔵王大権現、「文化五年」と記されている、石鎚大神は木彫りで近年

作られた様でありまだ新しい、予想では明治より以前からここは石鎚山であった様子

今まで瀬戸内海の島々に点在する石鎚山は数多く見てきたが、その中でも記憶に残

規模であり、何より景観がすばらしいところである。

そしてもう1つ、因島で偶然発見した石鎚神社がある。

港に向かう途中、車からの光景で一瞬の間に見えた訳である、小さな石碑があるだけ

だが立派な石鎚神社、これは因島土生町の戎神社の本殿横にひっそりとたたずんで

いたが、たぶんこれが見えるのは僕だけだろう。

要するに今日も「やはり石鎚信仰はすばらしい」という事である。

 

 

 

 

 

 

因島土生町の石鎚神社は戎神社にある

この島は広島県である

 

これが因島土生町の戎神社

 

鳥居の神額も戎神社

 

本堂の左側へ入っていくと

石碑が3つ並んである

 

何気ない車からの景気にこの石碑が見えたのだ(^_^)。

右側は「龍王宮」とある、八大龍王社やろか?

 

左が石鎚山である 「石鎚御前石」と「石鉄神社」

石鎚御前石には「大正十一年六月」とある

今一この場の「石鎚御前石」の意味が分らない

 

この石は南西方向を向いている

石鎚山の方向ではない、伯方島の宝股山(石鎚山)

向いていると思うのだが・・・

 

そして佐島の石鎚山へ

 

実際の登山口はもう少し山の中で車で行ける

横峰寺までの道は登山口から石鎚山の東側を巻いていく

 

生名島から見る佐島

中央2つの頂が石鎚山と横峰山

 

石鎚山と横峰山は同じ稜線上である

 

生名島と佐島を結ぶ橋

昔々この島に来た時にこんな橋はなかった

 

佐島へ渡り、佐島港の看板で確認

横峰山は記されているが石鎚山はない

 

佐島港から西側の海岸道路を進むとここにでる

 

三叉路には島四国・吉祥寺がある

すべての島四国はこの島の方々により綺麗に管理されている

しかしまったく無関心の上、見えない人も居るのだ

 

そして看板には「横峰山登口」と記されている

 

先に記しておくと奥の山が佐島の石鎚山で

記した部分が石鎚山山頂である

 

峠部分にでるとここが登山口

 

峠は5叉路になっていて南の道が横峰山登山口

 

思っていたより整備された島四国の道

 

右上を気にしているとすぐに香園寺がある

石鎚山はこの後の山であり、元々は裏に道が

あったような気配もあるがこの場は島四国の道を行く

 

切り通しの道へ出ると

 

その先は広場になっている

正面にも道は続いているように見えるが

ここは右上に折り返す道を登っていく

 

ここを登っていく

横峰山へ行くにはこちらが正解

 

後には瀬戸内海のすばらしい景色が広がる

 

横峰山の山頂である、登山口から15分ほど

 

山頂には他の島四国のお堂とはかけ離れた立派なお堂

第60番札所横峰寺である

 

「佐島島四国八十八ヶ所」とある

 

遥か先の島は高井神島と魚島であり魚島には石鎚山がある

 

横峰寺の裏には三角点119.6m

そして片隅には瓦が多数置かれてある事から

元々は木製のお堂があったと思う

 

人工的に立てられた石が3つある

右の石は第六十番 石鉄山横峰寺・左の石は大日如来と読める

そして中央の石に文字はない

 

更に両端の石の角には人の顔が彫られてある

佐島港の看板にあった人面石はこの事である

 

そして横峰寺から来た道 (北方向) へ20mほど戻ると

ここが石鎚山への尾根道の入口である

 

裏へ回り込むと下りの尾根道がはっきりある

 

踏み跡ははっきりとあるがくもの巣は針金のようだ

 

そして薮の向こうに石鎚山山頂の大岩が見えてきた

祠もある、やはり何か祀られているのだ

 

ここが佐島の石鎚山

左下の鉄製の社には木彫りの石鎚大神

 

岩屈の木製の像はかなり古く原形をとどめてない

両手と顔の感じからして弘法大師の像だと思う

そして屈の右側の岩盤に「石鉄山」と彫られている

 

高い位置の石祠には

 

石鎚蔵王大権現

 

裏側には「文化五」と読める

 

この祠は北西向きに祀られている

この方向に意味は無くこの場の石組の理由だと思う

 

右下に見える砂浜はさっきの道路標識があった所

そして島の光景は青空が似合う

 

更に不動明王の石仏

 

こちらはどちら様か分らない

 

前神寺の石鎚蔵王大権現

上部を探したが見つからなかった(>_<) ! !

 

この山頂は大きな一枚岩の上に岩が点在している

見下ろすと10m角ほどの大岩である

今までの経験上ここに鎖が掛けられていても

おかしくないのだが痕跡はなかった。

 

なんといってもこの石鎚山からの展望はすばらしい

「やはり石鎚信仰はすばらしい」
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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