2017年1月 広島県 福山市の石鎚神社 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

@70


広島県福山市の石鎚神社へ


 

 

 

 

駅家町大字江良の石鎚神社へ

現地へ行ってみると畑の中に建っていた
 
屋根には天狗さん

柱には「昭和37年」とある
 
ここは中に入ってお参りできる
立派な石鎚神社だが教会や遥拝所の名はなかった
石鎚本教に所属しているかどうかは分らない

祭壇には石鎚蔵王大権現 ! !
 
中央の石鎚蔵王大権現
 
右側にも石鎚蔵王大権現
 
そして左側には役行者
 
石鎚堂とある
 
昭和8年の奉納板が残っている

正面上部の天狗面その下には般若心経

ここは南向きに建てられている
今は田んぼの中にぽつんと建っているが
建てられた時は今とは全然違う環境だろう

加茂町百谷の石鎚神社へ

現地へ行ってみると

何と言う事か、無念な光景である 

神額には「石槌神社」
 
柱には「明治39年」と読み取れる
 
 なかなかの階段であるが
この上に今も石鎚神社は存在するのか
 
参道から木が生えている

以外にも階段はコンクリなので登っていける

登りきった所に建物が
今も石鎚神社は倒壊せずにふんばっている


手水舎が片隅に残っている

社の前には何か建物があったようだが
完全に倒壊して何か分からない

石鎚神社は傾きながらも
南向きに建てられている、 しかし屋根はもう長くはもたないだろう

中には石鎚蔵王大権現が残っている
どれだけの信者さんがこの石鎚蔵王大権現に
手を合わした事か、そんな事を考えると
残念で仕方ないがどうする事もできない

ほこりはかぶっているものの傷みや割れはなく
今も右手右足を上げ踏ん張っている

土台は石組の為いままで倒れなかったのだろう
しかし周りの建物が崩れれば
石鎚蔵王大権現も崩れ落ちると思う
何とかしたいと思う限りである
 
西深津町の巖山観音堂へ
ここは蔵王山の南端である
 
左右に大岩が見えている
左側の大岩の所に巖山観音堂がある

石碑には巖山大悲閣とある

あれが巖山観音堂

巖山観音堂の左側奥に窟があり
 
上の窟には「巖山石鎚大権現」とある
この大岩が石鎚山のようだ


横の岩に鎖が掛けられていて
あそこへ行くにはこの鎖だけ
 
以外にも石鎚蔵王大権現は居ない
天狗のお面が2つあるだけで
他に石鎚山と分かる物は何も無かった

箕島町にあるかつらぎ神社へ
ここに境内社として石鎚蔵王大権現が祀られてある
そして箕島は元々独立した島であった事から
とりあえず瀬戸内海の島1つ追加である(^_^)。

ここがかつらぎ神社への登山口

広い参道が山頂へ続いている

登山口から数分でかつらぎ神社

境内社が4社祀られてある
 
山之神大神と葛城大権現


八大龍王善神に石鎚金剛蔵王大権現

御札を退けてみると石鎚蔵王大権現
かなり古いのか下部が欠けている

御札がまだ新しいので信者さんが来ている様子
梵字の感じからしてお寺の方かな?

福山市新浜町の石鎚神社へ
ここは入江大橋南詰交差点の北西にある
 
左の看板の前である
この石碑は福山市民の方によく知られていて
なぜここに建っているのか?皆そう思っているよう
 
この石碑は南東向きに建ってある
明治30年に造られたようだが
普通に考えると明治初期までこの石碑の場所
もしくはこの近くに石鎚神社が
建っていた事を示している石碑である
この石碑は2mを越えている、こんな大きな石碑は
見た事が無く大きな石鎚神社だったのかもしれない
石碑の裏側には数名の奉賛者が彫られてある
 
疑問に思う事は一般的に明治30年頃に「鎚」と
いう漢字は使用していなかった事である
石鎚神社は明治初期から石神社だったが「」が「」に
統一されたのは明治35年(1902)3月8日であり
それまでは「鉄・鈇・槌・土」が一般的に多く使われていた
石碑に記されている事は間違いないと思うので
昭和の時代になって復刻された石碑かもしれないが
これもすべては僕の推測であるm( _ _ )m
「やはり石鎚山はすばらしい」
 
 
 
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