2015年12月 愛媛県 西条市 黒瀬峠の石鎚蔵王大権現 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

 

本日第60番札所横峰寺へ行く途中に今までは無かった場所に石鎚蔵王大権現

を発見したのである。

横峰寺は自動車で行く場合は西条から黒瀬ダムの方へ走り黒瀬ダム横の黒瀬

を少し過ぎた所から右側へ入り有料林道を登っていく。

そして今日発見したのは黒瀬峠のすぐ横に長谷地蔵尊と言う小さな祠があるの

だが、そのすぐ隣の倉庫?民家ではなさそうだがここのシャッターに石鎚蔵王大

権現が画かれていたのである。

この絵は間違いなく今年始めにはなかった、石鎚スカイラインが冬季通行止めの

時しかここを通る事も無く、春から秋はお金のかからない土小屋からしか石鎚山

登らないからだ、と言う事はこのシャッターの絵は今年の春から秋にかけて

れた事になる。

何よりも見ていて内容が楽しい、間違いなく石鎚神社が描いたものではないと思

っている、自分には横峰寺が描いたものではなかろうか?と思っているのだが

理由は石鎚大神は描かれてなく石鎚蔵王大権現である事、横峰寺・弘法大師・

大日如来も描かれ、何よりも「石鉄山」と記されている事、そしてなぜか京屋旅館

のお風呂も描かている、全体的な内容からしても仏様であり石鎚神社が描い

ものとは考えにくい内容である。

今回の発見はこのシャッターの絵がどうのこうのと言う事でもなく、信仰的な要因

や詳しい調査の必要すらないが、やはり現代に再び石鎚蔵王大権現がこのよう

な形で描かれる事が何となく嬉しい

ここはロープーウェイで石鎚山へ登る人には絶対目に入る位置であるが何も関

心がない人には小学生の落書きにしかみえないだろう。

しかしこのシャッターに描かれた「絵」なんでもないような絵に見えるが石鎚

信仰の歴史を知っている者にはかなり奥が深い表現である。

 

 

 

 

 

 


「霊峰石鉄山岳伝説天狗王」

だいたい意味は分かるが「天狗王」が分からない


「天狗王」とはこの天狗はんの事みたい

このすぐ上にある歓喜庵のお風呂
左側に「ツインガネーシャ」下には小さく「陰陽」とある
なかなか上手く表現したもんだがなぜインドなのか
右下に石鎚神社と記され鳥居の絵がある
これは黒瀬峠にある石鎚神社の鳥居の事だろう

これは横峰寺、金(かね)の鳥居は石鎚山西遥拝所
大天狗とほら貝で石鎚修験道を表している
要は石鎚山別当寺を強調しているのだろうと思う
これが明治から昭和初期の時代なら
石鎚山別当寺主張争いで前神寺・石鎚神社を
先頭に各寺院で大もめになるだろう
少々過剰な思い込みかも知れないが石鎚信仰の
古い歴史を知っているとこう思えてしょうがない(^_^)。
右下にある「あまねく人を救うものかな」とは
横峰寺のご詠歌(ごえいか)で正確には
「たて横に峰や山辺に寺たててあまねく人を救ふものかな」である
何よりも一番下お遍路の「路」が忘れてますぞな
 
やはり石鎚山と四国遍路は繋がっているのだ
「同行二人」とある、いつもお大師様と一緒と
言う意味なのだがお大師様も記していたのか?(^_^)。

横峰寺のご本尊、大日如来座像
「神仏習合」とあるが神様をなぜ雷神で表したのか?
ここの場合、石鎚神社の石鎚大神で表してもいいものだが?
こりゃなかなか遠まわしに奥が深い表現だ

「金剛蔵王大権現」とある
なぜ金剛から始まるのか?石鎚の文字は無い
しかし左手は刀印 (チョキ) ではなく挙印 (丸)
ここでさりげなく石鎚蔵王大権現を表しているのだが
左手で分かる人も少ないが「山岳信仰」と記されて
いる事で石鎚山を対象としている事が分かる
釈迦・千手観音・弥勒とあるのは釈迦如来・千手観音菩薩
弥勒菩薩の三つの仏が1つになって
憤怒の表情となり現れたのが蔵王権現である
 
「逆さ石鉄山」とあるが黒瀬ダムに石鎚山は写らない
龍の下には「ゼロ磁場」と小さく記されている
いったい何を表しているのか?こりゃかなりの知恵者の絵だ
「作 黒河太」とは何者か?まさか小学生ではあるまい
たったこれだけの絵からいろいろ想像ができるが
この絵には古き石鎚信仰の現代への
隠れたメッセージがあるように思えてなない
「やはり石鎚信仰はすばらしい」
 
 
 
 
 
 
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何と ! ! 黒瀬ダムに石鎚山が写っている
後日、読者の方から貴重な情報をいただきました
一度も見た事が無いだけにすばらしい → こちら