間違いなく今日このタイミングで行かなければこの石鎚山は発見できなかった、
これは間違いない
そもそも久万高原町の石鎚神社を探しに行っていたのだが、途中のコンビニで
肉まん食べていたら急に天の囁きが
ぱっと頭の中に浮かんだのは、かなり以前に県別まっぷる高知 (地図帳) を見て
いて高知市鏡今井の山の中に「石鎚神社」の文字を発見していたのである。
その内調査に行こうと思いネット地図を見てみるとなぜか出てこない、そして高知
市立図書館へ行きこの辺りの住宅地図を見ても出てない
こりゃまたまっぷるにしか載っていない石鎚神社と言う事であまり感心ももたずに
今に至っていた訳であるが、それが今日突然思い出されたのである
こういう自分のこれからの行動を決める思いつきは自分的に言う「天の囁き」
であり急遽この場所まで車を走らせる事に。そして僕の車にはナビが2台付いて
いる訳だが両方のナビにこの石鎚神社が出てくるではないか、ネットの地図に
無い、必殺の住宅地図にも無い神社が僕の噓つきナビに出てくる
鏡ダムから北へ舗装された山間の道を入って行くと谷間の小さな集落に着いた
橋の袂にある看板には「ここは今井穴川です」と記されている、ぱっと見た目で
数件の民家しかなく人影も無い、広い場所に駐車し徒歩での調査に切り替える
間違いなく石鎚神社と記されている場所から100m以内まで来ている
見上げると予想通り自然林ぽきぽきの山肌でありいい方向に向かって道がある
登ってみると1件の民家があるが人影なし
ここで聞いて知らなければぜったい見つからないだろう位置の民家であるが気が
弱い僕がなかなか入って行けるものでもなく、山肌をさまよう事1時間
やはり何も見つからなかった、諦めて帰ろうと下山したところ先ほどの民家に1人
のお婆さんが洗濯を干しながらこっちをじっと見ていたので勇気を出して聞いてみ
ると、すぐ裏山の山頂を指差した、お爺さんも出てきて「この山は石鎚山よ」
「小さい頃に昔の人が言っていたが伊予の石鎚山を分霊した」
80才は過ぎているであろう方が小さい頃の昔の人とはそうとう昔の話だろう
この家は石鎚山への登山口に位置していて山頂には石鎚神社の祠があり昔は
松の大木が立っていたが枯れてしまったと言う、もう何十年も誰も登ってないが
コンクリートの祠なので残っているだろうとも言う。
そしていつの時代か高知市の宮司さんが彫ったと云う木製の御神像3体があり
今はすぐ下の公民館に保管され、現在も必ず8月5日にはここでお祭りが行われ
ていると言う、何とすばらしい話だろうか。
この家の方は石鎚信者ではないがお爺さんは何回か登った事があると言うので
登山口を教えていただき登ってみた
たいした標高でもなく山肌に突き出たピークを目指すがだんだんと傾斜が増して
2本足では登れないずりずり斜面となり身の危険を感じるほどだ
しかし自称冒険家として今更撤退は、ない
そして無理やり山頂まで登ると石鎚神社の祠はひっそりとたたずんでいた
もう誰も来ること無い山頂は枯れた大松の根だけが残りこの集落だけの石鎚山
はもう御神像が登ることも無く石鎚神社と記された石板だけが残っていた。
そして自分の知っている祝詞をすべて唱えて山頂を後にした訳だが・・・
この石鎚神社の文字を見つけた事から始まった
他の書物でこの石鎚神社の事は見た事が無い
今井穴川の石鎚山はここにある
右はどん詰まり、道は左に続いている
一段上は畑のよう
ちょうどいい方向に入っていく道がある
ここを上がってみる
道が分かれている
左は人が住んでいるであろう民家
石鎚山への登山口は右の道を上がったとこにある
この道をどれだけの信仰者が同じ思いで登ったのか?
すぐに傾斜がどんどん増して
掴む木々はぽきぽき折れるし靴が滑り登れなくなった
横を見ると傾斜が分かるだろう
そして登山口からたったの15分
大天狗?の石仏、羽がはっきり分かる
祠の中は石板のみで「石鎚神社」とある
裏側には「昭和四十二年旧六月 氏子中」
石鎚神社の前に残る松の根っこ
山頂は狭くどの方向を見ても傾斜がきつい
石鎚神社の裏側に大木があり
そして下山後すぐ近くの穴川公民館へ行ってみる事に
何と、 鍵が開いていた
立派な石鎚神社
やはり元々あった石鎚神社を再建したよう
小さい御札は「石土神社」とある
すぐ横にあるのぼり旗には
柱には「山の神招へ深雪の祭宿」とあり
この公民館入口にある橋の袂に大岩があり
と言う事で大岩の上の祠へも行ってみた
祠の中は石が立っているだけだが
祠の後一直線上にはこの集落だけの石鎚山を