2015年12月 高知県 高知市 今井穴川の石鎚山 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

 

間違いなく今日このタイミングで行かなければこの石鎚山は発見できなかった、

これは間違いない

そもそも久万高原町の石鎚神社を探しに行っていたのだが、途中のコンビニで

肉まん食べていたら急に天の囁きが

ぱっと頭の中に浮かんだのは、かなり以前に県別まっぷる高知 (地図帳) を見て

いて高知市鏡今井の山の中に「石鎚神社」の文字を発見していたのである。

その内調査に行こうと思いネット地図を見てみるとなぜか出てこない、そして高知

市立図書館へ行きこの辺りの住宅地図を見ても出てない

こりゃまたまっぷるにしか載っていない石鎚神社と言う事であまり感心ももたずに

今に至っていた訳であるが、それが今日突然思い出されたのである

こういう自分のこれからの行動を決める思いつきは自分的に言う「天の囁き」

であり急遽この場所まで車を走らせる事に。そして僕の車にはナビが2台付いて

いる訳だが両方のナビにこの石鎚神社が出てくるではないか、ネットの地図に

無い、必殺の住宅地図にも無い神社が僕の噓つきナビに出てくる

鏡ダムから北へ舗装された山間の道を入って行くと谷間の小さな集落に着いた

橋の袂にある看板には「ここは今井穴川です」と記されている、ぱっと見た目で

数件の民家しかなく人影も無い、広い場所に駐車し徒歩での調査に切り替える

間違いなく石鎚神社と記されている場所から100m以内まで来ている

見上げると予想通り自然林ぽきぽきの山肌でありいい方向に向かって道がある

登ってみると1件の民家があるが人影なし

ここで聞いて知らなければぜったい見つからないだろう位置の民家であるが気が

弱い僕がなかなか入って行けるものでもなく、山肌をさまよう事1時間

やはり何も見つからなかった、諦めて帰ろうと下山したところ先ほどの民家に1人

のお婆さんが洗濯を干しながらこっちをじっと見ていたので勇気を出して聞いてみ

ると、すぐ裏山の山頂を指差した、お爺さんも出てきて「この山は石鎚山よ」

「小さい頃に昔の人が言っていたが伊予の石鎚山を分霊した」

80才は過ぎているであろう方が小さい頃の昔の人とはそうとう昔の話だろう

この家は石鎚山への登山口に位置していて山頂には石鎚神社の祠があり昔は

松の大木が立っていたが枯れてしまったと言う、もう何十年も誰も登ってないが

コンクリートの祠なので残っているだろうとも言う。

そしていつの時代か高知市の宮司さんが彫ったと云う木製の御神像3体があり

今はすぐ下の公民館に保管され、現在も必ず8月5日にはここでお祭りが行われ

ていると言う、何とすばらしい話だろうか。

この家の方は石鎚信者ではないがお爺さんは何回か登った事があると言うので

登山口を教えていただき登ってみた

たいした標高でもなく山肌に突き出たピークを目指すがだんだんと傾斜が増して

2本足では登れないずりずり斜面となり身の危険を感じるほどだ

しかし自称冒険家として今更撤退は、ない

そして無理やり山頂まで登ると石鎚神社の祠はひっそりとたたずんでいた

もう誰も来ること無い山頂は枯れた大松の根だけが残りこの集落だけの石鎚山

はもう御神像が登ることも無く石鎚神社と記された石板だけが残っていた。

そして自分の知っている祝詞をすべて唱えて山頂を後にした訳だが・・・



 

 

 

県別まっぷる高知県

この石鎚神社の文字を見つけた事から始まった

他の書物でこの石鎚神社の事は見た事が無い


今井穴川の石鎚山はここにある
 
集落入り口にある看板
ここには「石鎚神社」と記されてある
 
ボロいナビでも石鎚神社と出る
 
集落の広場に止め徒歩で極めてみる事に
右はどん詰まり、道は左に続いている
100m程先の左上に石鎚神社があるはずなのだが

一段上は畑のよう
この斜面を少し入った辺りなのだが

ちょうどいい方向に入っていく道がある

ここを上がってみる

道が分かれている
普通に考えれば山に向かっている道だが

左は人が住んでいるであろう民家
どうみても右側の道は石鎚神社へと続く道だが・・・
山から下りてきて途方に暮れていると
この民家のお婆さんを発見
そして石鎚山への道を教えてもらったのだ
ここでお婆さんが居なかったら石鎚山は分からなかっただろう

石鎚山への登山口は右の道を上がったとこにある
 
峠のような所に出て右側に入る道がある
 
ここを入ると道は続いているのだが
 
この道ではなくここから右上の尾根に入る
ここが石鎚山への登山口だ
 
尾根に乗るとはっきりした道がある
今までの経験上、石鎚神社への道は以外にも
はっきりと残っているものである

この道をどれだけの信仰者が同じ思いで登ったのか?
そんな事を考えながら登っていくと何十年も経った現代に
先人と同じ足跡をたどっていくのもまた何かの縁だろう

すぐに傾斜がどんどん増して
掴む木々はぽきぽき折れるし靴が滑り登れなくなった
もはや道も無い、正面に向かって直登りあるのみ

横を見ると傾斜が分かるだろう
進むところに太い木がなくずりずりで登れなくなる
転がり落ちれば少々冷や汗をかくだろう

そして登山口からたったの15分
ここまで1時間ほどに感じたわい
頂上らしきとこに大木の根っこが現れた
お爺さんの言っていた松の大木だ
 
左奥に祠が見える
根っこの横には石仏もある

大天狗?の石仏、羽がはっきり分かる
カラス天狗かも?顔の苔をのければ分かるのだが
とりあえずそっとしておこう
 
上部には「坊ノ樽」台座には「達明茂﨑岩」とある
右読みか左読みかも分からないが左読みなら台座は人名かも
 
そして山頂の一段下には石鎚神社

祠の中は石板のみで「石鎚神社」とある

裏側には「昭和四十二年旧六月 氏子中」
 
ブロック積みの頑丈な祠で
ぴったし東向きに置かれてある

石鎚神社の前に残る松の根っこ
こりゃそうとうでかい木だっただろう

山頂は狭くどの方向を見ても傾斜がきつい
やはり登ってきたとこが正規の道のよう

石鎚神社の裏側に大木があり
後の山に向かって細尾根の道が続いていた
他にすんなり下りれそうな道も無く
来た道をまた下りる事に (>_<) ! !

そして下山後すぐ近くの穴川公民館へ行ってみる事に
 
公民館とも分からないような建物
屋根の上に見えているピークが石鎚山

何と、 鍵が開いていた
そして祭壇がある、木箱が3つ

立派な石鎚神社
3つの木箱の中にはさっきのお爺さんが言っていた
木彫りの石鎚大神が入っていた
おもいっきり手彫りまるだしで全高約35cm
色が付き裏側には「石鎚」と彫られ
墨書きで「昭和三十六年」と記されている
山頂の石板の年号より古い
しっかりとした作りでそんなに古いようには見えない
後の少し大きい木製の厨子には不動明王が
左奥の小さな木箱にはよくある前神寺の石鎚蔵王大権現
の焼き物 (3体権現) が入っていた
この地だけのオリジナルの石鎚大神だ ! !
公開はしないでおこう(^_^)。

やはり元々あった石鎚神社を再建したよう
 
裏には山頂の石鎚神社と同じ日
「昭和四十二年旧六月吉日」とあり世話人
の氏名が数人記されてあった
この方たちがこの石鎚神社の事を知っている
のだろうが計算上かなりの高齢となる

小さい御札は「石土神社」とある
この石土神社は石土山(瓶ヶ森)と考えるよりも
高知県南国市十市の石土神社 か高知市
烏帽子山の神田石土神社御札と考えるほうが普通だろう

すぐ横にあるのぼり旗には
「大正四年七月」とある、この地にも古くから
琴平 (金比羅さん) 信仰があったようだ
金・石 両方の信仰が古来から根強くあったようだが
これほど盛んな信仰暦がありながらこの地の
事を書物で一切見た事が無い

柱には「山の神招へ深雪の祭宿」とあり
興味深い写真が一緒にある
通常「山の神」とは大山祇神社が多いのだが

この公民館入口にある橋の袂に大岩があり
大岩の上に祠がある、ここでお祭りをしている写真である
この祠は後方に石鎚山がある位置であり
この「山の神」とはどうもこの石鎚山の事ではなかろうか?

と言う事で大岩の上の祠へも行ってみた
こりゃどう見ても石鎚山
大山祇神社が岩の上っていうのは見た事が無い

祠の中は石が立っているだけだが
これは石鎚山だうと思う
ここが石鎚神社で後の石鎚山の石鎚神社は奥之院だろう

祠の後一直線上にはこの集落だけの石鎚山を
拝する事ができる位置である
「やはり石鎚信仰はすばらしい」
 
 
 
 
 
 
 
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