2015年10月 広島県 尾道市 竜王山の石鎚権現 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

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そもそもこの旅は何の予定すらなく、これも天の囁きか前日深夜になって何と

なく「出雲大社 ! !」と思いついたのが始まりである。

数時間後松山から走ること4時間半 ! ! 出雲大社へ到着、ここへ来るのは2回目

だが後で調べてみると何と6年前の同じ日の同じ時間帯に来ている、これも何か

のご縁であろうという事にしておこう(^_^)。

そして連休と言う事もあり出雲に宿はない ! ! 途方に暮れていると石鎚神社の旅

が思い出され、まだまだ数多く残されている広島県福山市周辺へ ! !

いつでも、外からでも分かるように、思いついたらすぐに行けるようにと思い地域

ごとに調べた資料をUPして格納いるので情報収集はいつでもできるが、その中

からどこの石鎚山へ行くかは神様しだいという事

さぁ今日も石鎚山を追求してみよう('-^*)/

ここ福山周辺は今も石鎚信仰が強く信仰され明治・大正頃に造り出された石鎚

神社が数多くある、僕が訪れているのは地図やネットで確認できる所ばかりだが

通い込んで本気で探せばまだまだ発見できるだろう。

こんな福山周辺もこれで何回目になるか分からないが今日も行けるだけ行って

みよう、まずは宿泊した尾道周辺からという事で選んだのが尾道市日比崎町の

竜応山にある石鎚権現石仏郡へ。

こういうとこって案外調べても登山口はどこにも記されてないのよね ( ̄_ ̄ i)

こうなると現地で探すしかないのだがここは日比崎中学校東側より登るとあった

映画のロケ地にもなったようだがここは訪れてびっくり、おそらく僕が知る限りでも

石鎚権現単体の信仰地としては今までで最大ではなかろうか?

いつくかある祠でいちばん古い年号は「明治十二年六月一日」と読み取れる、

その他の祠にも「明治三十年丁酉六月朔日」「大正二癸丑年三月十五日」とある

そしてすべての石造や文字は石鎚蔵王大権現であり、石鎚大神の石造や文字

ひとつとして見当たらなかったエリザベス

作られた時代としては既に石鎚権現から石鎚大神へ変わっているが根強い権現

信仰が残っていた事がうかがえる。

そして祠には「願主 石鎚光現院 石鎚森造」と記されているのだがこの意味が

さっぱり分からない、どういったとこなのか分からないがここの開祖的な方の名

である事は間違いない。

そして何よりもここは今も信者さんによって管理されている事である、何も由緒や

祭日などは記されてなかったが生き生きとした榊が立てられ掃除もされている、

この地の事は他に一切不明だがずっと守りとおしてほしい限りである。







まずは何の意味も無く思いついた出雲大社へ
ここは2回目でちょうど6年前の同じ日
これもたまたまであるが同じ日というのも何かありそう

今年はとにかく拝むに拝んでまた拝む
そろそろ頼みますぞな ! !

竜王山の石鎚権現石仏郡はここにある

登山口は日比崎中学校東側の道


日比崎中学校東側の急坂を登っていくと
両端に石柱が出てくる
ここから先は石鎚権現の聖域である ! !

急坂を登っていくと ! !
おぉぉぉ~~っ ! !

こりゃすばらしい ! !
左のレンガ作りは四国霊場86番であった

正面の祠には石鎚蔵王大権現エリザベス

石板ではなく立体感ある石仏はめずらしい
何も文字はないが間違いなく石鎚蔵王大権現
今では見れば直感で分かる ! ! (^_^)。

更に祠や石碑が並んでいる

この祠も石鎚蔵王大権現エリザベス

こちらはよく見かけるタイプ


そして「南無大師遍照金剛」の石碑
やはり石鎚山と四国遍路は繋がっているのである

これがどちらさんかよく分からない
弘法大師にも見えるのだが・・・

これは弘法大師と不動明王の石仏
ここから道が分かれ左側へ入って行くと

どうもこっちが正面玄関のよう

階段は波打ち古くからあるようである

これはお地蔵さんのようだが

足元の四角い石には「石鎚山 ! !」

石鎚蔵王大権現と不動明王

すばらしい光景だ ! !

ここにも蔵王権現が

階段を上がって正面に祠がある
側面には「明治十二年六月一日」とある
ここでいちばん古い年号

何とすばらしい造りだ ! !
「石鉄山 大権現」と記されてある

おぉぉぉ~~っ ! !
祠の中は分からない石仏2体
側面に「石鎚光現院 森造」とある

でっかい石鎚蔵王大権現エリザベス
なかなか現存する物でこの大きさはないだろう

すばらしい ! !
「南無上石鎚山大悲蔵王大権現」
何かかぶっているように見えるが
右手も三鈷杵ではなく巻物のような感じ
これは始めて見るパターンだが
蔵王権現には違いないだろう

全部で4体の蔵王権現の石像
すべて割れも無くいい状態で残っている

これは弘法大師
やはり昔から四国遍路と縁が深い事が分かる

一段上にも石仏と祠がある

天狗さんの石柱郡
これほどの天狗さんは始めて見た

すばらしい作りである

すべての天狗さんの表情がいい
ひとつひとつの意味が分かればいいのだが

石柱の裏には「明治三十年酉六月二十八日」
「願主 光現院 石鎚 森造」とある

この三仏もどちら様か僕には分からない
どのような意味か分かればいいのだが

等身大ほどの弘法大師像
目線は南、四国の方向である

そして最上段のでっかい祠へエリザベス

近くによるとでかい ! !

「明治三十年丁酉六月朔日」最後の漢字は「ついたち」
この6月1日は貞享頃(1684-1688)「石鎚山祭礼六月朔日より三日」
と言う時代もある、また石鎚神社の例祭は朔日・15日であり
昔から「おついたち」と称して尊重するのは開祖役行者の誕生日
を記念するものらしいと僕の本に書いてある (^_^)。
この事を意識してかどうかは不明だがそうあってほしい

祠の方向は南南東
単純によくある南向きではなく
石鎚山の方向を向けて
いるのだろうが実際にはもう少し西より

晴れれば石鎚山が見えるのだろうか?

ちょっとおじゃましてみよう(^_^)。
祠の中には何があるのか?
石製の分厚い扉は左側だけ開いている
右側の扉はどうにも動かない

何とすばらしい作りだ ! !
右側の扉が開かないのが残念だが
「石鎚山」と彫られ穴が3つある

おぉぉぉ~~っ ! !
石鎚蔵王大権現だ ! !

隣は倒れているが手が入らない
蔵王権現はおそらく全部で3体あるのだろうと思うが
これは作られた時しか入れる事ができない
後ろの壁には「上石鎚大~」までしか見えない

この祠にも「願主 石鎚光現院 石鎚森造」
石鎚森造とは本名なのか?
ここの開祖的な方なのだろうが後継者はいるのか?

すぐ隣にも石鎚大権現の祠があり
こちらは「大正二癸丑年三月十五日」とある
奥より後に建てられた祠であり微妙に奥の祠より
西向きでありこの祠は正確に石鎚山を向いている

何とすばらしい作りでだ ! !
何より構造もだが蔵王権現の彫刻は特にすばらしい

穴から覗いてみると ! !
石鎚蔵王大権現エリザベス
この権現さんも祠が作られた時から中にいるよう
祠に記された「石鎚光現院」
信者さんがいると言う事は今もあるのだろうか?
気になるな~
 
更に石鎚山の旅は続く

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