2012年6月 子持権現山 子持大権現 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

@41

 

子持権現山の蔵王大権現 (石土蔵王大権現) 

再度訪問した訳ではないが今まで訪問時に撮影した写真を見て解析してみた。

この前、因島の光明寺に行ってから、昔は瓶ヶ森の男山・女山・子持権現山の3

山を合わせて石土山と呼んでいた時代かあり、この3山の蔵王大権現を見比べ

ていた。

すると瓶ヶ森の女山の祠・男山の蔵王大権現と共通する部分が見つかり最近探

究している石土山 (瓶ヶ森) との関わりが見つかった

この子持権現山の蔵王大権現は子持権現山山頂裏の洞窟のような部分に祭ら

れており、ここへ行くには70m大鎖を登らないと行けない。

この鎖場の登山口に小さな祠があり祠の上部には子持権現分神と書かれてあり

中には蔵王大権現が2体祀られてある、ここの場合、山頂の蔵王大権現と登山口の蔵王大権現は両方とも左手は胎拳 (丸) なので悩む事はないが瓶ヶ森の場

合は女山は刀印 (チョキ) 男山は刀印 (チョキ) と胎拳 (丸) の両方の蔵王大権現

がある。

こうなるとどうなっているのやらと言う事になるのだが、この辺りの事も調べてみ

ると剣石山瓶ヶ森 (男山) の石土蔵王大権現、笹が峰 (女山) の蔵王大権現と

う文もあり、その昔石土山 (瓶ヶ森) の山頂剣石山瓶ヶ森 (男山) と言う時があったのだ、確かに男山直下には鎖場があり子持権現山ホンガケ道 (6本の鎖) を

登り下りし瓶ヶ森山頂へ至る最後の鎖の行場 (7番目の鎖) とも記されている。

何よりも男山の祠には変わった木造の蔵王大権現があり少し作りが違うのだ。

普通の蔵王大権現は頭には三鈷冠だが男山の蔵王大権現の頭には日月のよう

な印 (石土宗 石中寺の印?) があるのだ。

この印が子持権現山山頂裏の祠前にある御賽銭箱にもある事に気が着いた。

石土山 (瓶ヶ森) と子持権現山は繋がりがあり、瓶ヶ森の男山が特別な場所であ

ったに違いない。

 

 


 

子持権現山登山口の祠
赤いクレパス君の日記 (>_<)

祠の上部には「石土山子持権現分神」とある
左側側面には「平成二年七月吉日 奉納西条市氷見 工藤 明」
祠の作りは瓶ヶ森女山の祠とまったく同じである
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
右側側面には
「石土宗総本山石中寺 大日本石土山石峰団」
この両サイドの文字は瓶ヶ森女山の祠と同じ文字
赤いクレパス君の日記 (>_<)

中には石土蔵王大権現、左手は胎拳 (丸)
小さいほうは刀印 (チョキ) 
赤いクレパス君の日記 (>_<)

以前はすぐ横に置かれている時もあった。
この蔵王大権現の左手は刀印 (チョキ)
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
すぐ横に石標がある
「子持大権現分神御祠 完成記念碑
石中寺験乗会 菊間町子持山の会平成五年六月吉日」とある。
この祠と石標で初めて石中寺の名を見た。
石中寺は石土山 (瓶ヶ森) の総本山
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
大鎖を登り
子持権現山山頂から裏へ回り込むと祠がある
赤いクレパス君の日記 (>_<)

灯篭は織部形灯籠 (キリシタン灯篭) LHQの印がある
両方の灯篭の右側面 (西側) に月の印・左側 (東側) に太陽の印
右側の御賽銭箱の正面に日月の印 (石中寺の印?) がある。
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
左側の御賽銭箱の後ろにある箱の
正面上部にも日月の印が見える
灯篭の基礎部分には「菊間町子持山の会」
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
祠の中には石土蔵王大権現、左手は胎拳 (丸)
祠上部には「子持大権現」とあり
下部には「寄贈 菊間町子持山の会昭和53年9月吉日」とある。
赤いクレパス君の日記 (>_<)

瓶ヶ森男山の左側の祠
木造製の石土蔵王大権現、頭に同じ日月印がある。 赤いクレパス君の日記 (>_<)
今治の石中寺へ行ってみた → こちら
 
 
 
 
 
 
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