2011年10月 石鎚山旧跡 石標調査(表参道) 18~20・28~34王子 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

赤いクレパス君の日記 (>_<)

@32

 

 


 
石鎚山旧跡 

三十六王子社石標調査

2回目

 


 

 

 

石標調査2回目 石鎚山表参道

今回の目的は前回調査同様お地蔵さんの「赤いよだれかけ」の下である。

すべての王子社は参拝済だが石標の詳細な写真までは撮影していない、各王子社を参拝し石標の謎を解いている。

今日はあいにくの雨ではあったが今回は前回調査では分からなかった石標側面

の「石鎚神社??」の??の部分が判明した。

石標側面の文字は「石鎚神社旧跡」だった

また第30大剣王子で大発見があり、この大剣・小剣両王子ではまた謎が深まる結果となった。

 


 

 

 

第18杖立王子社
赤いクレパス君の日記
 
「赤いよだけかけ」を上げてみた
八十第の文字
赤いクレパス君の日記
第18杖立王子社
 
「立」と言う文字はかなりくずしている。
赤いクレパス君の日記
第18杖立王子社
 
右側側面を見てみると
石鎚神社の次に「旧」の文字がはっきり見える
左側側面ははっきり見えないが
一列目は昭和六年十一月建之の文字
その横の列はさっぱり分からない
赤いクレパス君の日記
第18杖立王子社

石鎚神社旧までははっきり読めた
旧の文字は少し小さめ
赤いクレパス君の日記
第18杖立王子社
 
第19鳥居坂王子社
峠の上でひっそりとたたずんでいる
赤いクレパス君の日記
第19鳥居坂王子社
 
右側側面には石鎚神社旧?の文字
左側側面は昭和六年十一月建之の文字
その隣の列はさっぱり分からない
赤いクレパス君の日記
第19鳥居坂王子社

「赤いよだれかけ」を上げると
九十第の彫り文字
その下には鳥居阪王子の文字
坂という字が「阪」になっている。
赤いクレパス君の日記

第19鳥居坂王子社

 
成就社本殿左横にある第20稚子宮鈴之巫王子社
この王子社にはオリジナルの石標はない
どう見ても最近の作りである。
石標は正面の王子の名前のみで
左右・後ろ側に彫り文字は一切無し
赤いクレパス君の日記
ずっと前からなぜここが王子社なのか気になっていたのだが
午前中の池の調査でほぼ断定できる答えがでた。
午前中の池の調査は → こちら

成就社神門12時30分に出発
夜明峠までの往復をしてみる事に
赤いクレパス君の日記

紅葉ばりばりの八丁坂
赤いクレパス君の日記

第28八丁坂王子社
赤いクレパス君の日記
第28八丁坂王子社
 
顔の当たりは風化している
赤いクレパス君の日記
第28八丁坂王子社
 
「赤いよだれかけ」を上げてみると
八??の文字??の部分はおそらく廿オ
しかし最初の「第」か「オ」なのかは不明
石標をじっ見た感じでは「オ」かな
今日見た石標で第20王子は別として第18・19王子は「第」
次の第29前社森王子は「オ」
漢数字の下は八丁阪王子の文字
ここも「坂」「阪」になっている
赤いクレパス君の日記
第28八丁坂王子社

右側側面には石鎚神社旧?の文字
反対側は昭和六年十一月建之の文字
その隣の列はやはり読めない
この列は間違いなく全石標違う漢字で・文字数も
違いどの石標も氏名のように見える
やはり石標の奉賛者氏名の可能性が高い
赤いクレパス君の日記
第28八丁坂王子社
 
第29前社森王子社
ここの石標は半分しかない
本に書かれてある大山祇大神と年代不詳の石仏もある
赤いクレパス君の日記
第29前社森王子社
 
「赤いよだれかけ」をのけて見ると
はっきりと九廿オの漢数字
その下に祥定の文字、その下はない
本来は祥定ケ森王子と彫られているはず
赤いクレパス君の日記
少し離れてみるとはっきり見える
赤いクレパス君の日記
第29前社森王子社
 
右側側面には「石鎚神」までの文字
赤いクレパス君の日記
第29前社森王子社
 
これが年代不詳の石仏
赤いクレパス君の日記
第29前社森王子社
 
じっと見ると合田??の文字が読めたが他は分からない
赤いクレパス君の日記
第29前社森王子社
 
ここは王子社が2つ
左側が第31小剣王子社・右側が第30大剣王子社
赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社
 
石殿のすぐ後ろに石標が2基
石殿と同じく
左側が第31小剣王子・右側が第30大剣王子赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社
 
 
「赤いよだれかけ」をのけてみた
両王子の漢数字に注目
特に右側の第卅(30)大剣王子に注目赤いクレパス君の日記
第31小剣王子社・第30大剣王子社

右側の第30大剣王子漢数字
普通に考えてこの石標の漢数字は
卅オ」又は「丗オ」
(どちらともだい30と読む)
なぜか30のはずがはっきりと「九廿第」だい29
しかしひとつ前の前社森王子石標にも
はっきり九廿オ (だい29) の漢数字
僕は単純に彫り間違えたと思っている
赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社
 
左側は一丗オ・右側は九廿第
(だい31)          (だい29)
左側の「オ」右側の「第」
同じ場所にありながら、だいの漢字が違う
漢数字の下には
左側が小釼王子・右側が大釼王子
両石標とも剣の文字が「釼」になっている。
間違いなくこの両石標の文字を彫った職人は違う事になる
赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社
 
左側の小剣王子石標左側側面には
「昭和六年十一月」の文字、
本来あるはずの「建之」の文字は無い
隣りの列には赤尾作平の文字
やはり奉賛者の名前か?
赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社
 
右側側面には
「石鎚神社旧跡」の文字
ここで旧跡の文字を確信した(^_^)。
赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社
 
右側大剣王子石標左側側面の文字
昭和六年十一月建之の文字、こちらの石標は建之がある
その隣りの列には大世話人????
右側側面には石鎚神社旧跡の文字
赤いクレパス君の日記
第30大剣王子社・第31小剣王子社

 
第32古森王子社
赤いクレパス君の日記
第32古森王子社

この石標のお地蔵さんは石標の角に彫られている
三十六王子社の中でもこの位置はここだけ
赤いクレパス君の日記 第32古森王子社
 
「赤いよだれかけ」を上げてみると
丗第 (だい32)
その下に古森之王子
赤いクレパス君の日記
第32古森王子社

「二」ははっきり見えるが
じ~っと見てみるとたぶん丗第」
赤いクレパス君の日記
 
第32古森王子社

右側側面には石鎚神社だけの文字
ここは旧跡の文字の形跡がない
左側側面は昭和六年十一月建之の文字
その隣の列はさっぱり読み取る事ができない。
赤いクレパス君の日記
第32古森王子社

第33早鷹王子社
昭和47年11月8日に石標を探したが見つからなかったと本にある
この王子社の石標は新しく作っている
しかしなぜか石殿から離れた所に石標がある
赤いクレパス君の日記
第33早鷹王子社
 
赤いクレパス君の日記
第33早鷹王子社
 
漢数字は左から第三十三
早鷹王子の文字
赤いクレパス君の日記
第33早鷹王子社

お地蔵さんも現代風
赤いクレパス君の日記
第33早鷹王子社
 

第34夜明王子社
赤いクレパス君の日記
第34夜明峠王子社
 
夜明峠の文字が見える
赤いクレパス君の日記
第34夜明峠王子社
 
漢数字は「四丗第」の文字
(だい34)
赤いクレパス君の日記
第34夜明峠王子社


この石標は通常右側側面にある石鎚神社旧跡の文字
が左側側面に石鎚神社の文字
旧跡の文字があるかどうかは埋まっていて不明
見えている彫り文字からしてこの石標は
40cm以上埋まっている事になる
どのこの石標もせいぜい30cmほどしか埋まっていない為
石標全体がちゃんとあるのか疑問
赤いクレパス君の日記
第34夜明峠王子社
 
この石標頭部はお地蔵さんの頭になっている
赤いクレパス君の日記
第34夜明峠王子社
「やはり石鎚信仰はすばらしい」

 
 
 
 
 
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