地元の方々との意見交換会(群馬県嬬恋村で)
「日々勉強!結果に責任!」を掲げ、「国づくり、地域づくりは、人づくりから」を信条とする
参議院議員 赤池誠章(あかいけまさあき・比例代表全国区)です。
本年は、癸卯年。「国難を乗り越え、“跳躍”の年に」したいと存じます。
8月5日(土)は、浅間山天明大噴火から240年に当たります。
私は火山議連(火山噴火予知・対策推進議員連盟)事務局長として、古屋圭司議連会長らとともに、日本一のキャベツ産地である群馬県嬬恋村(熊川栄村長)に出張しました。そこで、砂防堰堤を視察し、地元の方々と意見交換会し、天明大噴火慰霊祭に参列しました。
◎浅間山はわが国有数の活火山
浅間山は、1万年前から活発な火山活動で知られており、現在もレベル2(火口2キロ以内立入規制)の警報が発せられています。
その中でも、240年前の江戸時代天明3年1783年の大噴火は大規模災害となりました。火口から12キロ離れた嬬恋村鎌原地区(旧鎌原村)では、岩屑なだれによって、500名近い村民が亡くなりました。日本のポンペイと呼ばれる由縁です。
さらに、火山泥流が吾妻(あがつま)川から利根川に流れ込み、沿岸の住民が1千人以上亡くなるという大災害になりました。火山灰は、関東にも降り注いだと言います。
◎浅間山砂防堰堤を視察 固定型とブロック型、監視カメラと無人作業車が導入
浅間山と固定型の片蓋川第二砂防堰堤
北陸新幹線で東京駅から1時間程で軽井沢駅へ。夏の観光客で賑う軽井沢駅から車で北上し、1時間程走ります。県境近くの峠の茶屋の向い側には、東京大学地震研究所浅間山観測所があります。
そこから、ほどなくして隣接している群馬県嬬恋村に入り、片蓋(かたふた)川砂防堰堤を視察しました。
浅間山では、火山防災と水害防止のために、平成24(2012)年度から20年計画、総額391億円で砂防堰堤工事が進めれています。被中規模噴火想定では、約5千戸、900億円の被害が出ると言われています。浅間山周辺には軽井沢という一大観光と別荘地があり、北陸新幹線や上信越道が通過しており、天明大噴火並みの災害ととなれば、被害ははるかに大きくなると予想されます。
(出所:国土交通省)
砂防堰堤の一つに片蓋(かたふた)川に砂防堰堤があります。上流にある第二砂防堰堤は恒久固定の堰堤であり、カメラによって常時監視されていました。その下流には、第一砂防堰堤があり、ブロック型の堰堤となっています。このブロックは、別の場所に大規模ブロック保管場所があり、災害に応じてブロックを移動させて、機動的に土砂災害を防止できるようになっていました。さらに、遠隔操作できる無人作業車が導入されており、災害時でも安全にブロックを積んで土砂災害を防止するよう工夫がなされていました。
浅間山直轄火山砂防事業 ~火山噴火緊急減災対策~ (mlit.go.jp)
昼食は、嬬恋村三原にある中居屋で、地元の山菜を天ぷらにして蕎麦を頂きました。このお店は、地域の庄屋の家系であり、現在7代目とのことでした。ご先祖には、中居屋重兵衛という方がおり、生糸商として成功し、横浜開港の立役者とのことでした。その縁があり、嬬恋村と横浜市中区は交流協定が結ばれています。
中居屋重兵衛(なかいやじゅうべえ)とは コトバンク (kotobank.jp)
◎嬬恋郷土資料館 日本のポンペイ
嬬恋村鎌原地区には、鎌原観音堂のすぐ近くに嬬恋郷土資料館(関俊明館長)があります。ここには、天明大噴火当時、地下5~7mの地中から発掘された生活用品が展示されています。また、発掘された2体の遺骨や復顔の模型、写真や映像で大噴火の様子を今に伝えています。
また、企画展示では、昨年同じ噴火の被災地ということでイタリアポンペイとの交流提携が結ばれ、浅間山とポンペイの比較展示がなされていました。
施設の外には、上皇后陛下の御歌の碑がありました。
「熱泥(ねつでい)の 埋めし天明の 村のあと 掘る人群(むれ)に 吾子(あこ)もまじれる」
昭和54(1979)年当時皇太子同妃両殿下(現在上皇上皇后両陛下)が御一家で視察なされた際に、大学生であった浩宮殿下(現在天皇陛下)が発掘作業に参加された姿を御詠みになったものとのことです。上皇上皇后両陛下は即位中に二度郷土資料館をお立ち寄りになったと言います。
嬬恋郷土資料館 | 嬬恋村役場 (vill.tsumagoi.gunma.jp)
◎地元の方々との意見交換会
隣接した地域交流センターにおいて、地元の方々と意見交換を行いました。
私からは、火山議連が中心にしてまとめた活火山法改正について説明しました。
地域の方々からは、天明大噴火の伝承活動について、鎌原観音堂奉仕会の取組みを聞きました。
鎌原地区では、天明大噴火の教訓を後世に伝えようと明治初年に和讃(国語で仏教を讃える歌)を創り、それを8月5日の供養祭で歌うとともに、月2回7日と16日にまわり念仏として各家庭を順番に回っているとのことでした。
東日本大震災後、東北の被災地から視察があり、既に10年前後で震災の記憶が風化している中で、200年以上被災の伝承が続いている鎌原地区の取組みを高く評価されたと聞きました。
「天明大噴火大和讃」を実際聞きたい方は以下で。15分程です。
全国各地に災害に関する慰霊碑等は数多くあります。
災害記念碑デジタルアーカイブマップ (bosai.go.jp)
浅間山にも、鎌原観音堂があり、天明大噴火で生残った子孫の方々が常駐して、御朱印やお守り等の頒布を行っていました。
その拠点をさらに活かす取組みとして、和讃がつくられたのではないかと思います。その内容は、浅間山の噴火から被害の状況、そして、それを乗り越えるために、当時のことですから、仏の教えに頼ることで、復興していく過程がよく分かるようになっています。
実際に、鎌原地区で生き残った93人は、身分財産に関係なく一族の契りを結び、平等にして、力を合わせ、近隣の村々の手厚い支援を受け、埋まった村を少しずつ再建し、噴火直後の11軒だったのが、30年後には21軒となり、86年後の明治初年には、現在の主だった家屋が再建されたとのことでした。復興に約100年かかったことになります。
課題としては、少子高齢化、人口減少社会、また、移住する新住民が増加し、共働きの増加、宗教観の変化もあり、和讃の担い手が減少して、継続が困難になりつつあるとのことでした。
その課題を克服すべく、他地域からの参加や学校教育の無形文化財や災害教訓としての郷土学習、コミュニティスクールを導入等ができるのではないかと思います。
また、日本ジオパークネットワーク46地域の一つ浅間山北麓ジオパーク推進委員会から、地域での取組みについて聞きました。ジオパークとは、地形や地質の資源を踏まえて、保護保全を行っています。「災害と復興がつなぐ人々の営み」が中心的な内容となって活動しているとのことでした。火山の恵みを最大限活かしていこうということでした。
さらに、今年3月に文化庁食文化表彰がなされた伝統食「嬬恋くろこ」を試食させて頂きました。嬬恋くろことは、地元で採れたじゃがいもから澱粉を取り、捨てる食物繊維を天日干しにしたもので、それをネギや味噌と和えて、焼いたり、揚げたりしたものです。さっぱりした中で、食べ応えがありました。現在、大学と連携して、調査研究を進めると聞きました。
全国各地の100年フード (foodculture2021.go.jp)
嬬恋くろこ – 歴食 公式サイト (reki-shoku.jp)
◎天明大噴火供養祭
地元の方々との意見交換後、鎌原観音堂前で供養祭に参列しました。読経の後で、地元方々の天明大噴火大和讃を実際生声で聴くことができました。
災害を教訓として、次の災害に備えるとともに、その恵みを最大限いかした地方創生に向けて、国政から引続き支援していきたいと思います。
火山議連としては、各地で視察や意見交換を実施したいと考えています。
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◎災害情報と支援
気象庁の防災情報です。
全社協の災害ボランティアの募集情報です。
日本赤十字社の義援金募集情報です。
http://www.jrc.or.jp/contribution/
災害が各地で頻発する中で、災害復興のために、観光支援を行っています。
https://travelersnavi.com/coupon/
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◎自民党党員募集
自民党では党員を募集しております。
党員は、自民党総裁選挙(次回は令和6年2024年)での投票権を持つことができます。
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◎赤池まさあき後援会入会案内
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