鷹匠と鷹

動画・飛び流し (浜離宮で)

鳩が飛び立ち、鷹匠が鷹を押し出すように放ち獲物を捕らえるという

人鷹一体の羽合(あわせ)という技。

 

日々勉強!結果に責任!」を掲げ、「国づくり、地域づくりは、人づくりから」を信条とする

参議院議員赤池誠章(まさあき・比例代表全国区)です。

本年は、「国難を乗り越え、“跳躍”の年に」したいと存じます。

 

 正月の初夢で縁起が良いものということで「一富士二鷹三茄子」と言われています。語源は、駿河(静岡)の名物の順とか、徳川家康が挙げたとか、富士は高く大きく、鷹はつかみ取る、茄子は「成す」に通じて縁起のよいものとの諸説があるとのことです。

 

浜離宮の入口で

 

1月2日(月)と3日(火)に、東京汐留にある浜離宮において、30年間続いていた新春放鷹(ほうよう)術、鷹匠による鷹狩りの実演が3年ぶりに開催されました。私も縁起を担ぎ、初夢を正夢にとの思いで、参加しました。園内には、外国人観光客を含め多くの方々が詰めかけていました。

 

本日、鷹狩り=放鷹術を披露してくれたのは、諏訪流放鷹術を現代に伝える保存会(大塚紀子十八代鷹師)の方々です。

諏訪流放鷹術保存会【トップ】 (suwa-falconers.com)

 

冒頭、鷹狩りの歴史が4千年もあり、シルクロードのよってわが国に伝えられ、仁徳天皇以来1千年以上続いていること。そして、会場である浜離宮が、徳川家康が使った鷹狩りの場であったこと、鷹狩りはユネスコ世界無形文化遺産になっていること等、説明を聞きました。そして、いよいよ実演が始まりました。

 

鷹匠から鷹匠への鷹の「振替

 

 まずは、敏感で繊細な動物である鷹を様々な環境に慣れさせるために、鷹を拳に安定した姿勢で乗せて歩き回る「据え回し」が行われました。観客の近くで「据え回し」が行われました。

 

 次に、鷹匠の拳から別の鷹匠の拳に鷹を飛び移らせる「振替」が繰り返されます。

 

 そして、鷹匠が鷹を樹上に飛ばせて、樹上のいる鷹を鷹匠の拳に呼び戻す「渡り」の技です。近い距離の樹から、鷹匠が徐々に移動して、遠い距離の樹から「渡り」を行いました。浜離宮から隣接したビルの屋上からも「渡り」が行われ、鷹が鷹匠の拳に見事に戻ってきました。

 

 最後は、獲物である鳩を飛び立たせて鷹匠が鷹を押し出すように放って鳩を捕える羽合(あわせ)という人鷹一体の「飛び流し」が行われました。

 

 鷹匠と鷹の人鷹一体の鷹狩り=放鷹(ほうよう)術を初めて見聞して、人類の歴史、そして、わが国の歴史、伝統文化を感じるとともに、その伝統文化が、戦後民間の有志の方々で何とか伝えられてきたこと。それが、コロナ禍が続き、その間田籠善次郎十七代鷹師が逝去したこともあり、その継承と維持が危機だと聞きました。

 

 放鷹術は、単に狩りをするというだけでなく、わが国の伝統文化の礎であり、現代では猛禽類の治療やリハビリ、環境調査、害鳥駆除、動物園など、猛禽を扱う仕事の欠かせない技術として社会に活かされているとのことでした。

 

 同保存会では、鷹匠の人材育成、そのための拠点、鷹道具の復元に努めており、鷹狩文化の貴重な資料を集めた博物館をつくり、御鷹場の復興等を目指しているとのことでした。

 

 少しでもその継承にお役に立てればと思いました。

 

◎鷹狩文化とは

 

当日、配布された資料やホームページ等によると、わが国の鷹狩りには、吉田流(隼上げ鷹采(ザイ=竹に和紙を貼った物)仕込み)と諏訪流の二流があるといい、諏訪流は諏訪大社の諏訪氏一族に伝承され、織田信長や徳川家康に伝えた小林家に継承され、徳川直参の鷹匠となり、維新後宮内省(庁)に奉職したと言い、戦後は中断してしまっています。

 

諏訪流鷹匠の正装は、十六代鷹師の花見薫先生に敬意を表して、明治時代の鷹匠装束を採用しているとのことです。鳥打帽(ハンチング)を被り、裾に切り込みがある独特の襟を持つ袢取(ばんとり)を羽織り、同じく切り込みが入った野袢天(のばんてん)を着て、角帯をして、股引、脚絆と地下足袋を履きます。

 

鷹道具も手作りだそうで、鹿革製の手袋である鞢(えがけ)を着け、鷹の与える餌を入れる藤または竹製の籠である口餌籠(くちえかご)を下げて、切り身にした餌を携帯する器である餌合子(えごうし)を持ち、蓋を叩いて鷹を呼んでいました。鷹や獲物の足には、絹糸を縒り合わせる紐の忍縄(おきなわ)をつけていました。

 

鷹狩り=放鷹(ほうよう)は、約4千年以上前に中央アジアから西アジアで発祥したと考えられており、シルクロード(絹の道)を経て、わが国に伝えられました。仁徳天皇が狩りを行い、その後の皇室や公家、織田信長等の武将が行ったとの記録が残っています。今年のNHKの大河ドラマは「どうする徳川家康」ですが、特に、徳川家康が非常に好んだとのことです。家康の曾孫で5代将軍綱吉時代に「生類憐みの令」の布告があり、鷹狩りが廃れましたが、その後復活して、8代将軍吉宗時代に制度化されて、復興しました。明治維新後は、皇室管理となりましたが、戦後は中断してしまっています。

鷹狩とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

◎浜離宮は鷹狩文化の拠点

 

浜離宮の鴨場

手前が隅田川の東京湾で潮入りの池に鴨場 今も鴨がいます。 

 

 会場となった浜離宮恩賜庭園は、江戸初期は将軍家の鷹狩場であり、一面の葦原だったと言います。家康の曾孫が4代将軍家綱であり、5代将軍はその弟「生類憐みの令」「犬公方」で有名な綱吉です。その間に、甲府藩を収めた「甲府宰相」と呼ばれた綱重がおり、その綱重が海を詰め立てて屋敷を建て「甲府浜屋敷」と呼ばれる別邸としました。その綱重の子の綱豊(家宣)が6代将軍になったのを契機に、将軍家の別邸となり「浜御殿」と改めたれたといいます。その後、将軍家によって整備されて、11代将軍家斉の時代に現在の形である潮入の池と2つの鴨場を持つ大名庭園となりました。

 

 明治維新後、皇室所有となり、「浜離宮」と名称変更されました。鴨場として、鷹匠は園内に常駐して、鷹の訓練を行ってきました。関東大震災や戦災を経て、戦後、東京都に下賜され、国から国宝級となる特別名勝で特別史跡に指定されました。

浜離宮恩賜庭園とは|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp)

 

 

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◎コロナ禍

 

現在の感染状況をデータで一覧できます。

https://covid19.mhlw.go.jp/

 

都道府県の1週間ごとの医療提供体制と感染状況(6指標)です。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00035.html 

 

災害支援

 

気象庁の防災情報です。

気象庁 | 全国の防災情報 (jma.go.jp)

https://www.jma.go.jp/bosai/#pattern=default&area_type=japan&area_code=010000 

 

全社協の災害ボランティアの募集情報です。

https://www.saigaivc.com/ 

 

日本赤十字社の義援金募集情報です。

http://www.jrc.or.jp/contribution/ 

 

災害が各地で頻発する中で、災害復興のために、観光支援を行っています。

https://travelersnavi.com/coupon/

 

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自民党党員募集

 

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赤池まさあき後援会入会案内

 

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