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 日本遺産18件が認定されましたが、後半の認定案件を紹介します。 

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兵庫県 篠山市

「デカンショ節 -民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」

かつて城下町として栄えた丹波篠山の地は、江戸時代の民謡を起源とするデカ ンショ節によって、地域のその時代ごとの風土や人情、名所、名産品が歌い継が れている。地元の人々はこぞってこれを愛唱し、民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え、地域への愛着を育んできた。その流れは、今日においても、新たな歌詞を生み出し新たな丹波篠山を更に後世に歌い継ぐ取組として脈々と生き続けており、今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ、丹波篠山の街並みや伝統をそこかしこで体験できる世界が展開している。

 http://www.dekansho.jp/

 

11 奈良県(明日香村・橿原市・高取町)

 「日本国創成のとき飛鳥を翔(かけ)た女性たち

 日本が「国家」として歩み始めた飛鳥時代。この日本の黎明期を牽引したのは女性であった。この時代の天皇の半数は女帝であり、彼女たちの手によって、新たな都の造営、外交、大宝律令を始めとする法制度の整備が実現された。また、文化面では、女流歌人が感性豊かな和歌を高らかに詠い上げ、宗教面では、尼僧が仏教の教えを広め、発展させるなど、政治・文化・宗教の各方面で女性が我が国の新しいかたちを産み出し、成熟させていった。日本国創成の地である飛鳥は、日本史上、女性が最も力強く活躍した場所であり、その痕跡が色濃く残る地である。

 http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/ 

 

12 鳥取県 三朝町

「六根清浄と六感治癒の地 ~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉~」

 三徳山は、山岳修験の場としての急峻な 地形と神仏習合の特異の意匠・構造を持つ建築とが織りなす独特の景観を有しており、その人を寄せ付けない厳かさは1000年にわたって畏怖の念を持って守られ続けている。参拝の前に心身を清める場所として三徳山参詣の『拠点を担った三朝(みささ)温泉』は、三徳山参詣の折に白狼により示されたとの伝説が残り、温泉発見から900年を経て、なお、三徳山信仰と深くつながっている。今日、三徳山参詣は、断崖絶壁での参拝により「六根(目、耳、鼻、舌、身、意)」を清め、湯治により「六感(観、聴、香、味、触、心)」を癒すという、ユニークな世界を具現化している。

 http://www.mitokusan.jp/  

 http://spa-misasa.jp/

 

13 島根県 津和野町

「津和野今昔~百景図を歩く~」

 幕末の津和野藩の風景等を記録した「津和野 百景図」には、藩内の名所、自然、伝統芸能、風俗、人情などの絵画と解説が100枚描かれている。明治以降、不断の努力によって町民は多くの開発から街を守るとともに、新しい時代の風潮に流されることなく古き良き伝統を継承してきた。百景図に描かれた当時の様子と現在の様子を対比させつつ往時の息吹が体験できる稀有な城下町である。

 http://tsuwano-kanko.net/

 

14 広島県 尾道市

「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」

 尾道三山と対岸の島に囲まれた尾道は、町の中心を通る「海の川」とも言うべき尾道水道の恵みによって、中世の開港以来、瀬戸内随一の良港として繁栄し、人・もの・財が集積した。その結果、尾道三山と尾道水道の間の限られた生活空間に多くの寺社や庭園、住宅が造られ、それらを結ぶ入り組んだ路地・坂道とともに中世から近代の趣を今に残す箱庭的都市が生み出された。迷路に迷い込んだかのような路地や、坂道を抜けた先に突如として広がる風景は、限られた空間ながら実に様々な顔を見せ、今も昔も多くの人を惹きつけてやまない。

 http://www.ononavi.jp/index.html

 

15 愛媛県・高知県・徳島県・香川県(各県内57市町村)

「「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~」

 弘法大師空海ゆかりの札所を巡る四国遍路は、阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する全長14000キロにも及ぶ我が国を代表する壮大な回遊 型巡礼路であり、札所への巡礼が1200年を超えて継承され、今なお人々により継続的に行われている。四国の険しい山道や長い石段、のどかな田園地帯、波静かな海辺や最果ての岬を「お遍路さん」が行き交う風景は、四国路の風物詩となっている。キリスト教やイスラム教などに見られる「往復型」の聖地巡礼とは異なり、国籍や宗教・宗派を 超えて誰もがお遍路さんとなり、地域住民の温かい「お接待」を受けながら、供養や修行のため、救いや癒しなどを求めて弘法大師の足跡を辿る四国遍路は、自分と向き合う「心の旅」であり、世界でも類を見ない巡礼文化である。

 http://www.88shikokuhenro.jp/

 

16 福岡県 太宰府市

「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~」

 大宰府政庁を中心としたこの地域は、東アジアからの文化、宗教、政治、人などが流入・集積するのみならず、古代日本にとって東アジアとの外交、軍事の拠点でもあり、軍事施設や都 市機能を建設するのに地の利を活かした理想の場所であった。現在においても大宰府跡とその周辺景観は当時の面影を残し、宗教施設、迎賓 施設、直線的な道や碁盤目の地割跡は、1300年前の古代国際都市を現代において体感できる場所である。

 http://www.dazaifu.org/

 

17 長崎県(対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町)

「国境の島 壱岐・対馬 ~古代からの架け橋~」

日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。

http://www.ikikankou.com/

http://www.tsushima-net.org/

 

18 熊本県 人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・五木村・山江村・球磨村

「相良700年が生んだ保守と進取の文化~日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨 ~」

人吉球磨の領主相良氏は、急峻な九州山地に囲まれた地の利を生かして外敵の侵入を拒み、日本史上稀な「相良700年」と称される長きにわたる統治を行った。その中で領主から民衆までが一体となったまちづくりの精神が形成され、社寺や仏像群、神楽等をともに信仰し、楽しみ、守る文化が育まれた。同時に進取の精神をもってしたたかに外来の文化を吸収し、独自の食文化や遊戯、交通網が整えられた。保守と進取、双方の精神から昇華された文化の証が集中して現存している地域は他になく、日本文化の縮図を今に見ることができる地域であり、司馬遼太郎はこの地 を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記している。

 http://hitoyoshi-hikari.com/

 

 

 

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