こんにちは。

熊谷文乃です。



今日、ひすいこたろうさんのブログ「運を超えていく時代。その1」を読んで、「その通り!」「ほー!」「なるほど!」「こりゃすごい」といっぱい発見があったので、シェアさせていただきます。


私、漠然と「バイブスが高い」=「テンションが高い」って意味だと思ってたけど、バイブス=周波数と捉えると、なるほど納得です。

サトケンさん、スゴイわ。
はたして私には出来るだろうか。
あなたも“もし自分がサトケンさんと同じような気持ちになったら、どうするだろう?”と想像しながら読んでみてくださいね。



まず、藤堂ヒロミさん著の「運を超えていく」の中から、ひすいさんが抜粋されている文章に共感しまくったので、それをご紹介しますね。



〜ひすいさんのブログから抜粋〜

青文字は私の言葉です。


「それは喜びでやっていますか?」


喜びからやってるのか、心地いいからやってるのか、それとも、面倒だなと思って無理にやってるのか、やってることは同じでも、そこで大きく違うんです。


誰かに言われたからとか、これをやれば運がよくなると聞いたからとか、ほんとは面倒だと思ってるのに無理にやってることはありませんか?



喜びでやってるなら確かに素晴らしいことばかりなんです。

ただ、面倒だなーって思いながら、でも、運が良くなるらしいからと無理やりやってると、それは「交換条件の世界」に留まることになるんだそうです。



大事なのは、

なんでやっているのか、

その動機の純度なんです。



本当にその通りなんですよね。

なんでも動機が大切。

「あの人が言ってるから」ではなく、「自分の心が喜んでるから」が大切。

喜びが起点で始めることは、大概うまくいきます。


そして、↓ここからが驚いたこと。



サトケンさんと神仏習合のある神社に行ったんです。


そこは神社から歩いて5分ほどで奥の院があり、僕らが行くと奥の院でちょうど護摩が焚かれるところで、


「いやーー皆さんたちはほんと運がいいですね。

これもご縁ですから、どうぞどうぞお上がりいただいて護摩をやっていってください」

と僕らのグループに声をかけてくださったんです。


僕らは、ちょうどいいところに来て、運がよかったなーと喜んで護摩の行を30分ほどさせていただきました。で、ふと後ろを見るとサトケンさんがいないんです。


終わった後は奥の院の入り口にある有名な蕎麦屋さんで蕎麦を食べようと話してたんで、お店に行ったら、サトケンさんがもう山菜を肴に日本酒を飲んでいたんです。


「今日は護摩行という気分ではなかったので」と!


ここからは、ひすいさんのブログ「運を超えていく時代。その2」からの抜粋です。

1つのブログに2つリブログを貼る方法が分からないので、文章だけご紹介しますね。


護摩行やれば運は良くなることでしょう。

ご利益もあることでしよう。

でも、それさえやってもいいし、

やらなくてもいいと思えるゆとり、よゆう。


周りに左右されず

時には神にも左右されず、

自分の小さな心の変化、違和感に気づき、

自分の気持ちにしっかり寄り添える。


これが業界用語でいう

バイブスの高い人なんです。



きゃー!

シビレ(,,> ꇴ <,,)ー!!



ちなみに、サトケンさんは護摩行やるために秋田まで行くような人なんですよ。護摩が嫌いなわけではない。むしろ好きなんです。でも、今日は気分じゃないと自分の気持ちに寄り添えてるわけです。




すごくないですか?

どうしても損得勘定や「せっかくだから」とか、「みんなやるから」とか、「ご利益がありそうだから」が出てきて、自分の心の小さな変化や違和感は無視しがちです。

(少なくても私はそうかも。)


でも、そんなことに左右されず、自分の気持ちにしっかり寄り添える人が「バイブスの高い人」なんですね。


ふぅ〜。

なんだか目の前で手をパン!と叩かれたみたいな衝撃を受けました。


周りに左右されず、時には神にも左右されず、自分の小さな心の変化、違和感に気づき、自分の気持ちにしっかり寄り添う。


よし。2024年の目標にしよう。

心の声に耳を澄ましてるつもりだけ例ど、私はまだまだ小さな違和感をない事にしがちです。



奇しくも今日は夏至ですね。

今年もあと半年。

あと半年間で、どれぐらい自分の気持ちに寄り添うことができるのか。


あなたも一緒にチャレンジしてみませんか?




日本一の高さを誇るエキスポシティの大観覧車にて。




ちょっと興奮気味のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


自分の気持ちに寄り添うことって、めちゃくちゃ大事なことですね♡