立憲

JUSTICE

 

中道が解散したな。立憲は離党、新党を開設、公明は離党、復党するようだ。政治勢力的には統一会派で与党と対抗する。さて二大政党制が万能であるかどうか大いに疑問ではあるが、とりあえず現与党に対抗しうる対抗軸を明確にし、選挙民に分かり易い新しい看板を掲げなければならない。対抗軸と云ふからにはまずみんなを呼び寄せ合一可能な包摂的な看板でなければならない。共産党、社民党、いのちの党(令和新撰組)などはけっこう立憲とは親和的なのではないか。そこに公明党も新たに参加できるようにする。党名は立憲JUSTICEにしたい。いずれ可能ならば国内だけでなく世界に敷衍させたいからだ。

 

ネイミングとしての反省点では「中道」は一見良さそうでいて意味不明で訴求力に欠けるのではないか。ここでも「生活の真中」が訴えられた。世界に生活があるのは当たり前で、それらをさらに包摂する党の理念こそが求められたのではないか。包み込み、方向性を示すものとして確かな歴史観が必要だ。みんな、そこから予算も含めて政治が始まるからだ。世界に打って出る“world-wide”なネイミングこそ昂揚させるものである。失礼な話、共産主義は古すぎてもう世界では流行らない。いつも清新なニュースを掘り下げて来てくれるけれど、国民には共産党にはどっかまだオッカナイイメージが残っているのではないか。社会党は分かり過ぎるが、もう資本家と労働者を区別する思考は止めた方がいい。維新はもう日本国内の党だ。国民民主もつまるところ生活べったりの国内の党になった。付け加えるならば、それ自身は一概に悪いこととは云へないが、世界の潮流も、そして日本も、ベクトルは多かれ少なかれ自国ファーストに傾いてゐる。

 

包摂し、合一に向かう。総論基本根っこのところでは一致点を図る。各論についてはまだそれぞれの党意に任せる。総論についてはこの国の国体とはから鑑みる。我が国の国体とは憲法九条、象徴天皇、それとおそらく日米安保に落ち着くのではないか。それぞれの未だしもの党は、それぞれの課題について微妙に意見の違いやズレを感じているに違いないが、そこでそれらを全部包み込むものとして立憲JUSTICEを、大きな正義と公正と、人権主義・平和主義を党のテーゼとして掲げるのである。安保についても、憲法についても、象徴天皇制についても、森かけさくら、統一教会、裏金などのスキャンダルについても、正義・公正と云う視点で議論されるようになる。対抗軸だから少し分かり易くすると、こちらの正義に対して、自民党は不誠実、不謹慎、金まみれ、スキャンダラス、米国一辺倒…など幾らでも論うことが出来る。各論は置いておいても、法律に則ること、正義・公正を一点、基本路線としてその旗のもとに集まること。

 

付け加えるならば、閑話休題───。正義はムツカシクて奥行きが深い。たとへばアメリカの正義などと云ふものがないやうに、日本の正義などと云ふものも無いのかもしれない。

 

トランプ、プーチン、ネタニヤフ、習近平、金正恩…立憲を国内法、国際法と分けるならば、おおいにこの人たちは国際法をまったくないがしろにしてゐる御仁たちだ。立憲JUSTICEは法に則って、正義と公正を求める。憲法九条に立ち還れば、「正義と秩序を基調とする国際平和を希求し」つまり、改めて人権主義平和主義を根底とする。普遍的な、子供でも分かるように三是としてたとへば、弱いもの苛めはしない、嘘はつかない、人はコロサナイを旗幟に掲げたい。ぼくは立憲さんなどの、与党からも喧伝されるように「暮らし平和を全力で」などのお花畑のやうな感性とか「まっとうな政治を」などの泥鰌理論は、垢ぬけなく自己満足的でインパクト無く飽きられていると思ふからだ。反省としてまず大きな背景を打ち出す。必要なのは歴史観である。生活のこと暮らしのことなどは税も含めて主張は概ね重なり合って与野党全員でクリンチ状態、民主主義は予算が膨らむばかりで、これは与野党ともにの責任だ。生活暮らし、社会保障医療、教育など片時も忘れることではないが、立憲JUSTICEでは政治の問題はどうなるか、国内、世界の問題を正義と公正の視点でフィルターにかけてみようかと思ふ。

 

安保、原発、沖縄、

取りあえずヤスクニから。

 

「遥拝」高市総理のヤスクニである。神社に隣接する遊就館に行ってみればいい。特攻隊のお写真、山桜花、戦意高揚、国民を戦争へと掻き立てた政治色芬々な展示内容である。そもそも祀られているのが軍属だけで、東京大空襲をはじめ空襲で焼きたてられた一般市民は入ってゐない。満州からの日本に辿り着けなく無念の裡に命を失った多くの戦時引揚者も含まれない。そればかりかなんども云ふやうに、赤紙を渡した人たちが、それこそ赤紙を受け取った人たちと一緒に合祀されるてゐるのである。「イヤダ」と云ひ続けている朝鮮の軍属の方たちもだ。西郷隆盛、吉田松陰も祀られてない。

 

1910日韓併合である。1937,7/7盧溝橋事件つまり日中戦争がはじまった。終戦まで中国大陸ではおよそ2000万人くらいの死者が生じている。歴史では“無カリセバ”が口吻される。日本が朝鮮半島に渡ることなく日韓併合もなかったら歴史は別な方向に、あるいは今の朝鮮の南北間の軋轢、衝突などの問題すらあり得なかったかもしれないのだ。歴史は必ず地続きで連累の問題、子孫が謝罪しないで済むように、の問題ではないのである。先の天皇も、今上天皇も「深い反省」を口に為さった。高市は「反省」しない。靖国は静謐であるべきだ。いかめしい面付きで徒党を組んでいくような場所ではない。むかしオバマ時代にアメリカの国防長官は千鳥ヶ淵に参拝に行かれた。小泉大臣はもっと思慮深くあって欲しかった。礼節の観点から申し述べれば、人が嫌がることはやらないことが肝要。JUSTICEの判断ではギルティである。

2013,10/5ジョン・ケリー国務長官、チャック・ヘーゲル国防長官、千鳥ヶ淵墓参。

倉石