2025,10,29 ば様逝去。

享年99歳。

ごくろうさまでした。

ゆっくりお休みください。

「小夜子さんの心電図が平らになって来てしまいましたよ~」。看護士さんがナースステーションから来てドアを開けて伝える。ほんたうだ。酸素飽和度は86だが、脈拍は50を割って来た。指の爪がまず紫色になって、手指はしろく冷たくなって来る。摩っても摩っても冷たさは戻らない。親族が集まって、最後の親族の到着を待ってゐる。息を引き取る───、ほんたうだね、肩呼吸一回、顎でベロを口内に引き込むやうにして息をして、それで熄む。間にあってよかったね、ぎりぎりだった。ば様の目じりに泛んで来た涙を拭いてあげる。昭和2年、2/14生まれ、満98歳と8カ月。天皇大好きの軍国少女は農家に嫁ぎ、過酷な労働力として桎梏な農労に明け暮れた。勲章は外側に歪(いびつ)のやうに反って曲がった親指のことである。農家の合い間自力で短歌教室と、お習字の学校にも通った。「ガクモシナルナクンバ」であった。茫々、漠々たる時間がアッと云ふ間に過ぎていった。生死事大なり。人はなぜ生きるかである。ばーさんは常々人は寿命だから、て云ふ。

ば様はうすうす気づいていて、ありったけの努力や才能はアッと云ふ間に忘却の彼方に消え去っていって、残ったものは無為で、ただ喰ふ、眠る、放る、の毎日はたまらないと口に滑らした。一方ここ4、5年は何かと云ふと胸の前に両手を合わせ、「南無」と口誦む。ミトコンドリアがくたびれ果てる寿命がなかなかやって来てはくれなかった。擦っても摩ってももうチアノーゼは止まらない。或るところからタイムオブノーリターンと悲鳴のやうな声が聞こえる。みんながば様の酸素マスクと喉元を見ている。「無呼吸が増えて来ましたね」。看護士さんがまた伝える。時々刻々は容赦なく峻厳なものだ。最後の親族が到着してすぐに最期のひと呼吸があって、それで了はった。享年99歳、たくさんな知恵、物語り、姻族、笑い、喜びを与え残して行ってくれてありがとう。感謝です。安らかにお休みください。

茅ヶ岳が夕照。

 

倉石智證