生死事大、なんだかば様がいきなりあっちの方へ行っちまうのではないかと気持ちが焦る。壁に設置されているoxygen 装置が激しく泡立ってゐる。昨日帰る時は8㍑のレベルだったものがけふは9㍑に書き換えられていた。ば様は赤い顔をして苦しそうに呼気を継いでいる。眼はうなされるような熱っぽい眼で、宙に放心している。ミトンは外されていた。「ストレスになりますからね」、とは説明されるものの、「ばサン、握って」とせっつくものの手を握り返す力もないのか反応が返って来ない。呼吸数が昨日に比べて倍近くに上がってゐる。苦しいんだよね。きっと水の中にゐるやうだ。物語が変わってしまった。ぼくらのストーリーでは看取りも含めて自宅で自然消滅していく風だった。痛み、苦しさが無く、意識がすり抜けて仕舞へばしたがって不安、恐怖もない。

2017に亡くなったじ様がほぼそんな感じだった。入院半月後くらいから食事を自分で摂らなくなっていった。水分量も減っていって、最後は枯木がとぼるやうにあっちへ逝ってしまった。それがなんて云ふことでせう。ぼくらのストーリーの中ではこの苦痛と云ふものが入って無かったのに、ば様は真っ赤(かい)顔をして酸素マスクの下で喘いでゐる。なんで死の瀬戸際にあってこのやうに苦しまなければならないのか。まったくいい人で在って、いい子でいたのに。熱い額に手を当て、がんばろうねと声を掛けるしかない。昏い気持ちでまた梯子の人になった。高梯子を紅葉の枝叢に突っ込んで、密集した紅葉の枝の上に立って顔を出す。滅茶苦茶にはみ出してゐる徒長枝を思いッきりばっさばっさと剪定鋏で伐ってゆく。

10/28深夜、血圧が下がって意識が薄らいでいる。

危篤───、の電話があった。

すぐに駆け付けて、ベッドサイドにゆくと、

ば様は荒い呼気を顎呼吸で。

酸素飽和度は94に下がる時もあった。

朝6時前、抗生剤点滴開始。

酸素は97になる時もあって、小康状態に。

6時過ぎにいったん自宅に戻る。

寒さもあって、運転中も終始躰が小刻みに震える。

 

倉石智證