花の時候にてさぶらう。

候、さうらへば、ござさうらう/花の時候にてさぶらう/あわただしくせわしなく傍らを過ぎてゆく/それなのにいかん、いかん/ちびっこ松を忘れていた/魚沼に候/そんなことせったって信州は千曲川を飛び越えて/山を越えて富士にて候/南アルプス市に候/馬鈴薯に花が披いたよ/アヤメは紫に/石楠花が深紅に青空に映えている/白躑躅が花を腐せば/芍薬が艶冶(えんや)として薄桃色に耀ようて/ござさうらう/私に微笑んでいる/多くの者たちが光り輝く中へ/立ち去って行った/なんて云ふ呆気なさだったろう/過ぎてしまへばみな平気な有様で/思い起こせば数えきれない花の合間合間に/見え隠れしながら/さやうならと云ふばかりに/うしろ姿を見せながら/死の断章に於いては/あらかじめ徒労である。

oxygenは無味無臭である/いつも人恋しさでいっぱいで/取り付くしまもなく、奪う/酸化させる/空いっぱいに溢れている/それをちびっこ松は散々に新芽を風に揺らして私を挑発する/おいで、無役の人よ/再びワタクシハ梯子の人となって/天を仰ぎ地を見下ろす/花の時候は目まぐるしくわたくしの傍らを逝き過ぎ/とまれ午後の三時のティータイムに/硝子戸の奥、深々とした眠りの最中に/目配せをする/ゆるゆると目覚めてご機嫌なば様/松は松だ/寝所と硝子戸を隔てた庭前では時間は別々に平行移動し/いえ、いやさうではなく/すべて生(よ)はこともなく/松を降りる前に片してしまおう/死の多幸感とはなにか/まるで湯につかるがごとく/大いなるものに最後には抱き留められて/ワタクシハけふも何千と云ふ育ちゆく松の翠芽を摘んで/ござさうらう/花の時候にさうらう/いまはなんにでもゆるがせに出来ない。

死は酸素供給の停止───脳では、エネルギー源であるATPが急速に枯渇し、これによってニューロンの電気的なバランスが崩壊して、神経伝達物質であるグルタミン酸が大量に放出される。電気的沈黙とはニューロンの死であり、すべてに(解放)フラットをもたらす。

 

倉石智證