/頁繰るばばに震顫(しんせん)をさまりて眼は見えねども文字を探しぬ

不思議だ。テーブルの上に冊子を置いておいたら…

 

夜辺(よべ)になると食堂はおだやかに平和になり、ばばはテーブルに置いた新聞や雑誌を手にする。いい予兆ではありませんか。1/22に退院して在宅看護に。最初は2/14のお誕生日は是非に、なんてしどろもどろになっていたのが、点滴は一日1000㏄→500㏄、そして3日ほど前から200㏄になった。点滴をロックして長いカテーテルを外す。食堂への移動が格段に自由になったのです。ここは妻と家族の居場所。一段と生活音に満たされます。去年の11/23救急入院してからは病室にて手厚い看護体制、明るい病室でしかし、言葉は丁寧に閉じられ、ば様には長い2か月が続きました。一週間に一度のお見舞いで声を掛けても応答は力なく曖昧です。

 

さて娘がお喋りならば様もお喋りです。最近はよく喋りますよ~。ぼくは限りあるば様の命の辺(ほとり)に、珠玉の言葉を探そうと、あれやこれや短い声掛けをする。桜の季節までとか、五月の連休はとか、いや百歳までとか、どんどん希望めいて、日にちがふくらんでくる。

/咲き継ぐや家族のやうにシクラメン(詠み人知らず)

 

シクラメンが次と咲いて来たのです。

 

倉石智證