人間だけでなくあらゆる生物は死を避けようとし生を得ようとする。少しのやましさではなくそれは生きとし生けるもののほとんど本能だ。

厭戦“19%”平和のために領土諦めてもいい/24,2,22日経

 

プーチンは人類にものすごい、いやさうでなくともささやかであってもとっても偉大なこととか、大切なことをプレゼントしてくれているわけではない。それどころか自国民だけでなく、多くのウクライナ人の生命と運命を破壊し、混迷の中へ追い込んでいる。なぜ人々はそれに従うかと云へば徹底的な暴力とプロパガンダによるものだらう。人々は恐怖や不安の前ではその理性を封殺される。無防備な死はやはり途方もなく永遠に怖いものなのだ。

多喜二拷問死築地署1933,2,20(猪瀬冬樹氏ブログより)

ぼくは多喜二のやうに陰嚢を蹴られ続け、陰部を青黒く変色するまでの拷問にはいくら道徳的正義を振りかざしても多分耐えられないだらう。ついには殺してくれ、と口にするに違いない。弱者が強者に立ち向かうためにはどうしたらいいか。個人ではあまりに頼りなさすぎる。しかもネイションではあまりに広すぎ理性には難解だ。やはりカントリーが必要になるのではないか。つづまる処身近な共同体であり、最終的には愛する家族のためと云ふことになる。

「起きろ多喜二」その顔を抱えて「もう一度立たねか、みんなのためにもう一度立たねか」と遺体に話しかける。「多喜二、わだしはお前を生んで、悪いことしたんだべか」母セキ。

 

エストニアは国家をこのやうに定義してゐる(24,1,31日経)。「何事にも負けず、懸命に働き、集い、結束する」「数千匹は道半ばで倒れてしまう。それでも数千匹は家にたどり着く。困難や痛みを連れて」。あるいは或る時々は「多くの人々にとってそれは最後の旅となった」。死の暗がりへ否応なく連れ去られた人々がいたわけだ。

 

1989,6,4『天安門事件』

1989,11鄧小平「国権は独立、主権、尊厳に関わるもので、すべてを圧倒する」1989,11「いかなる人もいずれかの国の一員だ。自分の国の主権に背くような人は信用できるのか」訪中団(斎藤英四郎経団連会長)に対して明言した。

 

領土と主権は譲りやうもない国家の本能になる。弱小会津の戦争では、女子供、少年、老人まで雪崩を打って死の淵へと身を挺して行った。待ったなしだ。国を出て行く人はいない。悠久の大義、と云ふわけでもないが、あの時代を今に、会津はウクライナになるのだろうか、それともロシアになぞらえられるのだらうか。

 

長野県では1933,2,4~2か月余りの間に、治安維持法違反で608名が検挙された。信濃教育会と「2.4事件」(22,10,24太田政男氏ブログ)───。そのうち教員が230名(と云う説も)。二.四事件は“赤狩り”であったが信濃教育会もけん制する意味合いがあった。過剰反応、弾圧に怯え、“身の証”として、「敬神崇祖…日本精神の神髄の発揮」「興国的精神の発揚」などを謳い、青少年を『満蒙開拓義勇軍』に送出することに現場の教員をして狂奔した。

1933,2,10天皇大権『伝家の宝刀』───(満州国と熱河省は異なる)二月十日に「参謀総長載仁(ことひと)親王に謁を賜い、(略)熱河作戦発動の中止が可能か否かを御下問になる」。作戦中止をご下問、訊ねたのだ。毅然として中止せよ、という選択肢、大権の発動があり得たとしたらここである。(猪瀬直樹 [日本国の研究813]「『昭和天皇実録』のピンポイント」

 

この前の年に井上準之助元蔵相の暗殺事件もあった。

1933,2,24「サヨナラ」松岡洋右(国際連盟)脱退

1933(治安維持法)の適用はピークを迎え、共産党はほぼ解党した。

1933この年はドイツではナチス政権が誕生し、特高警察に逮捕された多喜二は築地署で拷問死、不安な世相の中で『東京音頭』(作詞・西条八十、作曲・中山晋平)が大流行、「ハア~/踊る踊るならチョイト/東京音頭/ヨイヨイ」人々は乱舞する。大正デモクラシーはまだ続いているかに見えた。

 

話は戻るがプーチンである。彼の周りでは不思議なあやしい不審死が続いてゐる。およそ分捕り経済なんて前世紀の遺物であり、彼の“特別軍事作戦”には改めて大義が無いことは明白だ。プーチンは人類にとって何かとてつもなく大事なことを捧げ続けているわけではない。新しい人類史的な発見でもなく、月に足を運ぶほどの偉大な足跡でもない。プーチンは何か考えているのだらうか。そこを分捕った後で自国民と世界に何か大きなテーマを準備しているのだらうか。

 

プーチンの戦争である。しかしまさか万が一でもこのままロシアが優位のまま戦争が停戦、凍結されるようなことになったら大変な人類の有事である。道徳も倫理も世界標準が変わる、と云ふことになる。戦争は弱いから負けるんで、勝ったから強いんだと云うことになる。裁判も無し、賠償責任も無くなる。領土は“ごね得”になるだろう。ウクライナはこの屈辱に終生耐えられるのだらうか。力による現状変更が可なら中国もこのまま指をくわえて待っていないだろう。あちこちで戦争が勃発し、世界は恐怖と混乱の危機に陥るだらう。主権と領土の一体性───『ウェストファリア』以降当たり前のように提言されてきた言葉が、無法のうちに破壊される。

 

戦うか、強大な力の前にひれ伏すか。

厭戦“19%”───

平和のために領土を諦めてもいいとウクライナの市民たちは考え始めている。

 

倉石智證