とってもサトシくんでは間に合わない

ぼくはサトシくんのやうにゐねむったり

ぐずったりしないから

でもO先生の文章の前では

逡巡したり、時々また往ったり来たりする

その文意のムツカシサがなんとも気持ちいいんだ。

ところでうちのばー様ときたら

もう初めから終わりまで眠ってゐる

一体全体どうなってるんだ

指をさして文字を追いかけて

口に出して咀嚼までして

でも飲み込めないまま

もう次の時間が始まって

せっかく「天声人語」の半分まで行ったのに

頭をふりふりまた最初の段まで戻っていく

朝から何も食べてないとか

電話での会話はまるっきりダメだね

受話器を置いた瞬間もう誰からかかって来たのか分からない。

 

太っ腹のサトシくんでも耐えきれないだらう

自分がイ眠るのはともかく

他の人がすやと目の前で眠るのには困惑する

あんなに九十歳までは人様に伝えやうと

親密に優しかったものが

いまは文章が棒のやうになって

それこそが木偶だ

木偶はいま立ち止まったよ。

2019,11/14 ば様と妻は“せっせっせ”に興じる。

 

歩行器に掴って止まって

かな壺眼は妻を見てゐる

いいえ、視線は妻を通り越してどこかを見ていて

次に何をしたらいいのか尋ねてゐる

まだあなたはダレですかにはならないけれど

もうちょいの経度で

そうなったらぼくもO先生の文章の前で

うんうん首をふりふり

眠てるのか覚めているのかそれすらも分からなくなる。

まったく生まれたときから積み上げて来たものって

(言葉にまつわるものなんだけれど)

それでも伝へやうとして

それってつまりはなんなんだらうネ

 

倉石智證