窪みめいたところに鳩の巣がある。
/梧桐の黄葉は屋根に懸かりけり
/5回目の接種、尋ね人の有線
/朝茶飲む認知の人の繰り返す
/秋吹くやみんなごっしょに鴉鳴く
(「ごっしょ」甲州弁=ごちゃまぜ)
/菊の香や隣りはなにをする人ぞ
/早生柿の冥利木守になりにけり
/鵯枝に冬柿赤く熟れにけり
/犬が通る剪定の音道隣り
/秋霜に小さくなりて仕舞ひ茄子
/をちこちに烟立ち初む畑仕舞い
/老ひの字や木に剪定の音高し
まさに木に上れば非知、非意味、非言語、云ふなればただ高いだけである。
怖いだけである。ただスポーツと違って勝ち負けは、ない。
したがって意味的な、負けたら悔しい、だろうなと云ふやうなことも無い。
ただ想像するに落ちたらイタイだらうな、ただ事では済まん、だらうな
と云ふことである。
容易に身体的であること。
まず高い木に対してどこから上ったらいいかとおよそ見当がつくこと、
高梯子に対して踏む蹠(あうら)の常に移動する感触、
例えば枝が押し出していたら、掌はどこを掴んだらいいのか、
などなど、皮膚感覚と、内奥の生理感覚が反応するのだ。
枝打って、太枝が幹から離れる瞬間の音を聞く。
空が途端に上に広がり、すると、歓声を上げたいくらいの昂揚が沸き上がり、
あゝ、あらゆる意味と言語を奪われた詩的な、
とっても説明では云いつくせない、
つまりぼくは高いところが好きで、やっぱり丘の上のフール、
阿保になりたいと思ふのだ。
ゴジラ…。
10/22から庭手入れを開始。高い処はほぼお終い。
倉石智證

















