/恒春園武蔵野に在る蘆花公園比翼連理の墓を詣でる
/高齢になりたるばかり講習を世田谷自動車千歳烏山
徳富蘆花は幼少時はひ弱な体質だったが両親、兄の教導、また厳しい訓導によく耐えて、
真っすぐで社会の不正、不幸にも敏感にエンパシーを感じる人となりになった。
聡明賢慮、慎み深く素直なる愛子女史を妻に娶り、二人は武蔵野に居を移し、
仲睦まじい比翼連理の夫婦の暮らしを晴耕雨読の日々に過ごした。
書院を建前するにちょうど幸徳秋水らの大逆事件(1911)が起こり、
徳富蘆花は大逆事件は冤罪であると大きな関心を寄せ、
後日、第一高等学校(現東京大学)で、原稿無しで大演説をぶった。
書院は「秋水書院」と名付けられたのだった。
1927,9/18蘆花は療養先の伊香保で永眠する。
享年60歳、兄の徳富蘇峰は涙ながらに弟の墓誌を漢文で認めた。
愛子夫人は夫徳富蘆花死去後よく一人で生き、夫の遺著を整理刊行し、
また後々の計画を定めた。
即ち蘆花十回忌に当たり、恒春園の土地と邸宅の一切を東京都に寄贈し、
蘆花記念公園としたのである。
千歳烏山世田谷自動車学校。
高齢者はヤですねえ。
これに先立つこと6月にはわたしは東陽町江東試験場で
認知症の講習、試験を受けてゐる。
そして3か月待ちで今度は教習所での運転実施講習である。
老人4人一組で若い講師から
「自信と過信」「明反応、暗反応」「静止視力と動体視力」等の講義を、
特に動体視力に関しては部屋にしつらえられた検査機によって試力される。
たいていは若い人に比べたら大幅に落ちているものなのですよと、
さりげなく念を押されて老人たちは神妙である。
さて、いよいよ運転実習へ。
コロナ禍では、前回は講師が助手席に、3人一組で運転講習だったが、
今回は一人づつの実習となった。
左へ、右へ、直線「はい、もっと飛ばして」。信号です。
車庫入れ、S字カーブ、それにクランクも。
やっと解放されて全員が教室に集まると、
「この中で3人の人が一時停止をしていません」と注意され、
みなお互いの顔をみやった。
(認知症高齢者講習は5年から3年に短縮されることに。)
こんなことでも何か重大なことを済ませたような気分になって、
心はうきうき、自動車学校の送迎バスで千歳烏山駅へ。
ちょうど電車がプラットホームに滑り込んでくるのが見えた。
改札をパスモでくぐりいそいで電車に飛び乗った。
ほッと息をついで車窓を見たら電車が反対方向に進行しているではないか。
アナウンスが「調布」方面を告げる。
あれまぁ、これじゃダメじゃん。
つくづく自分は高齢者なんだなぁと思ふ秋の日なのでありました。
やれ、やれ。
倉石智證







