養老孟司先生は「当然ながら身体こそ個人であって(例えばオリンピックの身体性について)、
心や論理は万人に共通でなければ意味が無い」と述べられる。9/18
2021,9,19と20日、私が歩いている限りは確かに私はたったのひとりになって山径を細々と歩いてゐる。世界中の中でその瞬間は誰一人からも意識されることのない刻々と私自身が一人の人なのだ。そのことは全くの不思議であって、赤い木の実とかに目が合って、しばらくわたしはたじろぐことさへ忘れて、凝っと見つめる自分のことを覚い出すのだ。
甲斐駒ヶ岳登山は二日続けてまだ夜も明けない4時に深闇の中を出発した。
ヘッデンの届く範囲は限られ、たちまち人間はその闇の中に閉ざされてゆく。
足元のわずかのザレとか石塊しか見えないのだ。
またしても暗闇の中で一人の人となる。
私の少し先を登って行った二人の若者のヘッデンの灯りを追って
私もその径筋を登り始めた。
すぐに異様な感じに捉われて
「おーい、そっちは径が違うんじゃないの」と声を掛け上げた。
若者はスマホを取り出し、位置情報を確認する。
行く先に「警報」が知らされていたようだ。
わたしたちは意識することから認知の世界に棲みついてしまった。
洪水のやうな日々の情報や意味の世界で、はたして五感はどこへ行ってしまったのだらう。
山に入ったなら当然のこと感覚入力を優先する。
非知を。
例えば鎖に梯子が続く山径で、このわずかな窪みを見落としたらこの急登の岩塊は上れない。ヘッデンの夜の山行もさうだが行き詰まり危険を察知する。
本能がハタと周囲を見回すのだ。
非知に身を任せること、それが山登りの感慨かも知れない。
■移徒わたまし
■皇太子徳仁親王時代甲斐駒ヶ岳黒戸尾根コース
1990,7,18(七丈小屋)~19(仙水小屋)。
1989,12に株価は38,915円をつけ、バブルははじけた。
1990,3には不動産に対して総量規制が始まる。
若い皇太子はなにを胸に想ひ山に登ったのだらう。
麓の竹宇神社にお参りして、甲斐駒ヶ岳西峰には奥社になる祠が建っている。
祭神は大己貴命(おおなむち=大国主命)である。
天照系の皇太子にしてみれば
“国譲り”まではまつろはぬひとつの出雲の神様に過ぎなかったわけだが、
国の統一には地方神の力も欠かせない。
朝廷は大国主神を国つ神として都に勧請、
大物主大神おおものぬしのおおみかみとして三輪山をご神体として祀る。
空虚であること、つまりこちらには神社はない。
天皇の領域は“阿留辺畿夜宇我(和)あるべきようわ”の秩序で成り立っているが、
しかしかつ、“であるかのように”その中心は空しい。
私たちもなぜ祈るかと云ふと鳥居をはじめその神域に気持ち身体を任せるしかない。
まるで五感の世界なのである。
七丈小屋では皇太子は気さくに山小屋のみなさんと団欒なさったようだ。
そして七丈小屋では殿下のご来頂の話を頂いてこの時トイレの改装を為した。
洋式トイレになって、今でも清潔に手入れされているが、
ぼっとん便所はアンモニアの匂いはいかんともし難い。
落とし紙は右手のケースに入れることになる。
はたして殿下はわれわれと同じく同じ姿勢でここで屈まれてお一人になられる。
山にはいろいろな神様が居られて、殿下は息遣いも荒く山を登って往かれる。
無数の祠や碑や石像が苔むす間を、
鎖場や梯子、岩場をひとりの人として移徒(わたまし)なさってゆく。
巨大な岩塊に刺さる奇妙不思議な二本の劍の烏帽子岩もさうだが、
鳳凰三山をはじめ、何万年と変わらぬ壮大な山景を徳仁親王も恣ほしいままにしたに違いない。
まこと、麓の竹宇神社から長大な林野を通って、梯子、鎖場、岩場が続く山径は、
確かに西峰の奥社に続く表参道ではあったのだ。
西峰に立つ本社。右の碑には「大己貴神」が。
倉石智證








