橋は結ぶんだよ
ふっと匂ひが目の奥をかすめた
高い煙突に薄烟が立ち昇る
あそこでは二度人を送ってもらったな
釜無川と笛吹川を渡る
北の方にどんどん上って行ったら右左口に出るだらう
あのおっちゃんは骨壺の底に揺られて吾が帰る村
なんて云ったっけが
けふ寄った家には年老いたば様と
目のもう見えてない老犬が柱の下に蹲っていた
表門うわと神社は鎌倉の創建で
騎馬の武者がなだらかな丘陵の上から土手近くへと駆け下って来る
今では電車の駅は甲斐上野駅となって
国道に郵便局が
その隣の隣り沿いに件のば様はひとりで棲んでいる
ちょこなんと、ぼくらは未だかいなと
門柱の下にちっちやな椅子を出して
それでうきうきとぼくらを
と云ふかもう一人のば様を待っていた
「うれしいよう、涙がこぼれさうだ」と
「まあまあ上がってくんなされ」と
玄関から奥へと招じ入れる
フォークナーの場合廃屋に於ける暴力は甘美な毒の匂ひが混じる
ひとりのば様のこの陋屋はもういたるところ終止が付かなくなって
老犬は白内障を患い
眸は白眼に濁り涙を流し
柱の下に蹲って眠るばかりになる
作業場は至る所に停滞と剥落が冬の日の中に放心している
表門神社には紅梅が咲いて
連れられるやうに近所の坂下の石垣の上に
これはまた見事に白梅が咲いた
暗渠に被さるやうに太い欅の幹が聳え
石の燈篭がそのまんま苔むしている
「私の家の玄関には松があるからすぐに分かるわよ」
その通りに立派な松があって
それは老人の云ひ分だが
あなたはそこに椅子を出して国道に向かいちょこなんと座っていらした
お互いに九十四ここのそとよん歳。
ながく生きたものだね。
昔懐かしい話ばかりに花が咲く。
廃屋はその間にもどんどん朽ちてゆき
硝子越しに見る仏間に
鏡にくすんで旦那様の遺影の写真が傾いてゐる
昔幼いころよく遊びに行った笛吹川の岸辺を、
さらさらとさらさらと砂交じりに水が洗い流す
実はなにもかもがもう手遅れなのだ
甲冑姿の騎馬武者が松の枝振りを掠めて
臀臀相摩でんでんあいます
吶喊とっかんの雄叫びが釜無川の方へと消えてゆく
葱持って行かんかね。
畑に葱を採って来るから。
腰の曲がったもう一人のば様は元気よく坂を下っていって、
やがて手押し車に太い長ネギを乗っけて
エイサエイサと自分に掛け声を掛けるがごとく
坂道を上って来た
あいよ人生は命を運命に乗せて、
お互いに亭主には先立たれたけれど、
また思い出深く長生きしませう。
ポチは柱の下に深々と眠ったまま目覚めることもなく、
私たちは玄関に別れ、
また橋を渡り、
遠く白く雪を載せたふるさとの山を目指して車を走らせた。
「ところでば様、いま誰と話して盛り上がっいたの ? 」
「それが、わからんのだよ」。
ば様の金ツボ眼は奥まってますます落ち窪んでしばたたき、
バックシートでまたひとしきり悩むのだった。
さて、家へ帰ってから夕食後の日記───
「バカ、くやしい、かなしい」などと…。
何十年かぶりでむかし故郷の友達に会った。
これでもう生きて会うことの最期かもしれないと幼馴染の二人のば様は。
ひとりのば様の思い通りにならない自分の記憶のことである。
倉石智證
















