ぼくの意識は
時には、ぼくの髪の毛の後ろに飛んで行ってしまうようで
髪の毛が在ればの噺だが
もはや予定調和的はあり得ない
ぼくは無意識を意識して
頂上からダッシュする
意味は、無い
空無は目ん玉の後ろに後ろへと
未練も何もあるものかは
尾を引くまでもなく
空に、消えた
実は消えたかどうかは分からない
空を切る、とは何か
と何かがずれた
色であったのかも知れない
一切の意味と考えるを忘れて
気持ちいいものは気持ちいいのだ
それでなにか問題はあるのかな
倉石智證
たとへば西田幾多郎の『純粋経験』とは
「反省を含まず主観・客観が区別される以前の直接経験」を指すと云ふ。
予定調和的意味を求めない純粋経験。
ただ滑るに任せる丘の上の阿呆になる。
なんでも無意識な世界って気持ちいいなぁ。
