1890ゴッホ「黒い烏のゐる麦畑」
キチキチキチキチと不意に鳴いて
あんな高いところでしきりに尾を振ってゐる
言葉ではなく何かを求めている
縄張りの警戒音なのか
求愛の鳴き声なのだらうか
言葉の周りみたいなところで
さっきから
なにをやっているんだらうね
いまはすごく黄色を意識してゐる
あちらに在るのは野菜畑だ
白菜は伸び伸びと育った
畑の土色が気持ちがいい
妻は前方の農道の先にゐる
その先はずっと続いているのだ
だが、その左の方へ
わたしが目まといしているのは黄色い風景だった
壜に詰め込んで持って行きたいほどだった
壜に詰めたら鳴き声も分からない鳥の
鳥の鳴き声も壜の中に閉じられるのだらうか
少しずつ景色はずれてゆく
妻は農道を真直ぐに行って
視界の左へ消えた
何か地上の音も一緒に持っていったやうに
辺りは静かになる
不在地主が多くなったから畑の会話もなくなってしまった
葭きりの鳴き声を聞いたのももう大分前のことだらう
あの棄てられた畑の向かうには新興住宅があって
それさへも今では雨風に大分やられて
水色のペンキは灰色に古びて
いまでは眼に新しいのは
この青々とした白菜の畝くらいなものになる
黄色い話に戻せば
黄色い畑地とか黄色い屋敷とか
黄色い肌の男とか
黄色をとうとう突き詰めてゆくと
あの紋黄蝶でもさうだが
静安ではなくどうも安心していられない
文句を付けることぢゃあないが
蝶の飛び方と云ったらまったく出鱈目ぢゃあないか
ぼくは到底付き合ってなんかいられないから諦める
針路が激しく狂ってしまったとしか云ひやうがない
言葉ぢゃあなくてこんな田んぼや野原の中へ
いきなり鉄砲弾なんかが飛んで来たら困るのことだ
硝煙の烟はいつしか黄色い弾幕になる
あの人たちも大分黄色に飢えて狂って行って仕舞った
苦しむ人々から学び、苦しみを受け取りに行く
なんてほどぢゃあなくても
黄色はどうも人を落ち着かなくさせて追い詰める
黒い鴉が飛び交い
また鋭く自分の耳を切り落とすなんてことも
倉石智證
