1947~51「マチスの礼拝堂」
いつかの X'mas、
みそなはす
いつかはクリスマス
仕組まれしもの
陽が入り来る
朝な夕なに
ステンドグラスに陽が射しこむ
顔のないキリストに色が増し
生気がよみがえり来る
手招きする
万物の頬笑み
ただ両義性は残る
埋もれてゆく打ち捨てられた道を引き返す
こんなにも自由な目論見がかってあっただらうか
その緑色が好きだ
木は表にずらりと立ち並び
その水色が好きだ
部屋の中には魚がすいすいと泳ぐ
とても心が安らいでいく
聖母子やドミニクス
それに「十字架の道行」
まぎれもなくどこからか音が零れてくる
いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。
曲がっていた背中が真っ直ぐになる
眸はまっすぐに見はるかす
はたと跪き、硬く両手を合わせる
首肯 しゅこう する
この緻密さとあっけらかんとした仕向けに
人はあッと虚を突かれ
清浄であること、
無垢であることを思はず願はずにはいられない
光りの鼓動
再生への静かな祈り
残された傷ついた人たちをそっと包み込む
すべての静謐さの中に
そのこじんまりとした空間が
まるで只事ではなくなる
(辻原登 11,10/2 日経)
去る 9/13 日、能登半島輪島沖で発見された木造船に
北朝鮮から脱出してきた九人が乗っていた。
船長八メートル、デッキもない木の葉のような船である。
日本の漁船に向かって、水をくれとしぐさで呼びかけた。
漁師がペットボトルとソーセージを投げると、みんなで回し飲みをし、
ソーセージを受け取った女性は子供に与えたあと、手を合わせたという。
彼らは 9/8 日に北朝鮮の清津を出港した。
(のちに清津より六十キロほど南の漁大津〈オデジン〉と訂正)
輪島まで直線距離で約七五〇キロ。六日間かかって漂着したわけだが、
日本海は珍しく五日間凪(なぎ)の状態だったことが幸いした。
たとえばあの人たちでさへも、
いつかの X'mas
神のみそなはす
いつかはクリスマス
みんな安寧に暮らしているのだらうか
「決して一人の為に祈ってはならない」 と
また、遠くの方で神様の声がした
「マチスの礼拝堂」聖ドミニクス。聖母子ともに顔がない。
(11,12/8 日経)
南仏にあるマチスのロザリオ礼拝堂。
「聖ドミニクス」も「聖母」も顔は描かれていない。
聖ドミニクスはときに白字のタイルにステンドグラスの光りが青い服のよう
に映り、手にする聖書が黄色に染まる。
天の光りのプリズムが周到に色彩を投げかけるのだ。
「一番好ましい季節は冬。そして一番いい時間は午前 11 時」
とマチス自身が・・・。
マチスが礼拝堂の構想に取り掛かったのは、
第 2 次大戦終結後まもない 1947 年で完成は 51 年。
「礼拝堂を訪れる人たちの心が軽くなること。それがわたしの思いだ。
たとえ信者でなくても、精神が高揚し、思考が明晰となり、
感情そのものが軽やかになる」
マチスの残した言葉である。
2018,7/13
『哀喪「3.11」災後物語』(下巻)
倉石智證

