1940国吉康雄「逆さのテーブルとマスク」

 

Moderato Cantabile
 
呟く、

そして、頷く 

何度も 

死はあんまりに確かなものだから 

どちらかと云ふと出来るだけ朗らかに話しかける 

コンクリートの道を右に曲がってコンビニに行った

 砂丘に出れば 

今は行けないけれど 

わたしの浜小屋があるのだ

 
彼はいつも花柄の上着に赤いズボンを穿き 

夢の中の綱の上を渡って来る 

不思議な笑い顔で手招きし 

何度も何度もそして 

わたしが今では行けなくなった所へと連れ出そうとする 

ついほだされて 

死んだふりもできないので 

うんうんとうなづいてゐる

 

夢の中に綱が渡されていて 

生きていたらいいね 

生きていたらいいねと呟いてゐるうちに 

すや、と寝てしまった 

粛然とする
ほんとに三日も経たないうちに死んでしまったのだ
 

 

これだぁれ、と云ふと 

お母さん 

これは、と云ふと 

お母さんの手だと 

これは、と云ふと お母さんの頬っぺただと 

あんなに確かなものだったのに 

不思議だね
 
波がどぶーん、 

波が、どぶーんと来る 

浜小屋には人がいないはずなのに 

なぜか私がゐる 

彼はいつも花柄の上着に赤いズボンを穿き 

綱の上を渡って来る 

どうやらここにも連れて来てくれたらしい
 
あんまりその暗がりが気持ちいいので 

うんうんとうなづいてゐたら 

外からにゅっと手が差し込まれて 

これだぁれ、とか 

これは、って聞かれたやうな 

さうでないやうな 

どっちへ行こうかなと迷ってゐるうちに 

どうも、あんまりにも気持ちがいいものだから 

すや、と眠ってしまったらしい

 

コンクリートの道を右に曲がってコンビニに行った 

砂丘に出れば 

今は行けないけれど 

わたしの浜小屋がある

 

                   出来るだけ朗らかに、
                   さっと、
                   自分でもほぼ気がつかないうちに。
                   moderato 中くらいの速さで 中庸な速度で
                   cantabile 歌うように、表情豊かに

 

2018,7/13

『哀喪「3.11」災後物語』(下巻)

倉石智證