さ庭に
お喋りが止まない
殿しんがりを守れよ
やがて夏が退出してゆく
長かった暑さがしお垂れてすごすごと立ち去ってゆくころ
新涼が入れ替わるやうに健やかに降り立ちてくる
チチチと虫が鳴き初める
日溜りに蹲ってゐたものもさっさと追いやられる
こめかみに別な熱を感じた時、
それらはもう秋だ
鼻孔に涼やかな清水の匂いが立ち込め
風が吹くとススキの穂が一斉に靡き
その影を甲冑を付けたお侍さんたちが二、三騎、
幻のやうに奔ってゆく
すわ、何事か
ござんなれ、いざ
炎帝がしずしずと野面を退却してゆくのを見送ると
台町坂を上って交差点の小さなお宮に手を合わせ
武蔵野の彼方を眺めやり
南無八幡大菩薩
と祈るのだった
朝露と共に木の根方や土に
ようやく湿りが戻って来る
一年ひととせも過ぎ二年ふたとせも過ぎ、
道も瀬に散る、道も瀬に散る、
と歌ったのは
それからだいぶ経ってのことだった
倉石智證
1051~62前九年の役
1083~87後三年の役
若き源義家が陸奥に向かうに、往時は武蔵野、新宿区の台町坂を通った、
と云ふ話もある。
あの有名な勿来の関の山桜花───
「吹く風を 勿来の関と思えども 道もせに散る 山桜かな」
はおよそ1083年ころの話。
春もあれば、秋もある。
それで、不図・・・。
