いまはとて 

島果ての崖踏みけりし 

をみなの足裏(あうら)思へばかなし 

戦後 60 年だった 10 年前、天皇、皇后両陛下はサイパン島を訪ねられた。
戦闘に追いつめられ、自ら命を絶った多くの女性に心を寄せたのが皇后陛下
のこの歌である。
そして戦後 70 年の今年、両陛下はきょうからもうひとつの激戦地、
南洋のパラオ共和国を訪問される。(15,4/8 日本経済新聞)
写真は、2005,6/27 両陛下は“万歳クリフ”に向かわれて。 

 

あのじいさんは死んで、あのじ様も死んでしまったら 

あのじ様たちが身体の中に持っていた戦争たちも 

みんな死んでしまふ 

なにしろあらゆるじ様たちは口数が少ないもんだから 

武漢の砲撃も 

シベリアへ連れていかれたことも 

煙りのやうに消へてしまふ 

みんなじ様たちが死んじまった後に 

あれもこれもみんな靄のやうになって漂っているばかりで 

残された僕たちはその周りをうろうろするしかない 

 

あゝ、 

でもあそこでは戦争に行ったことも 

戦争をしたこともない人たちが大勢集まって 

戦争をいぢり始めた 

さあ、大変だ
 
それはさうと 

もっと聞いておけばよかったなと思ふけれど 

それらは今幽かにば様の中に眠っていて 

突っつけば不図眼を覚まして

 なにもかもに生きてゐるかのやうに話を始めるが 

生きているじ様はその隣りでもっと真剣に眠っていて 

けれど 

それは空と呆けているわけではなく 

それは、たださうなのだ

 

まだまだ若くて元気だったころ 

天皇陛下のことを“天ちゃん”なんて云って笑っていたけれど 

あゝ、平和な時代っていいな 

それにしたって「あっ、さう」だなんて 

象徴って大変なんだ 

喋ったこともない人が平民の中で喋る 

ほんたうにえらい時代があって 

ほんたうにもう泣けてくるね
 
あの方たちがまた南の蒼い島々や 

北の方に出掛けていって 

祈るときは 

ぼくもきっと真剣に祈ろうと思ふ

 

 14,7/8 朝日新聞)サイパン“集団自決”
鈴木洋邦さん(83)=岐阜県各務原 か か み が は ら市 

1944,6/15 サイパン島東部の洞窟に息を潜めていた。
米軍が南部に上陸して 10 日。
一家は米軍が迫る音を聞き、死を決意した。
当時洋邦さんは 13 歳。
16 歳年上の義兄が出刃包丁で一人ひとり、切り付けていった様子が、

今も目に焼き付いてゐる。
「首の後ろからお湯をかけられたみたいに、血がだーっと流れた」
 
米軍に救出され、生き残った。 

洋邦さんは首の後ろに真一文字に切り付けられた傷跡を見せてくれる。
 

日本の軍人4万3000人

民間人約1万2000人

これに現地住民の犠牲者が加わる。

絶対国防圏の崩壊。

日本列島の空襲が実際化されるようになる。

さすがに東条英機内閣はこれを以って退陣した。

東条英機は終戦まで百姓のまねごとをして過ごしてゐる。

終戦時、戦争に負けたのは、政府、軍人、民間人まで含めて、

“無気魂”の所為だとさげすんだ言葉をぶつけた。

頑迷に最後まで徹底抗戦を主張していた。

44,7/7以降、空襲等で国内だけで約70万人以上の犠牲者をうむことになる。

 

2018,7/13

『哀喪「3.11」災後物語』(下巻)

倉石智證