このお方にはおよそいつでも誠意と云ふものを感じられない。
どちらかと云ふと軽佻浮薄の誹りを免れないのではないか。
2016,12,28日本時間で午前4時ごろからその儀式は始まった。
ハワイ戦艦アリゾナの艦上でオバマ大統領と並んで瞑目し、
艦上より海へ花びらを散華し、“パール・ハーバー”の犠牲者を追悼した。
しかし、その翌日の29日には首相は冬休みとて茅ヶ崎に、
はやくもゴルフ三昧に浸ったゐる。
一緒にハワイに同道した防衛大臣・稲田朋美はその同じ日の29日に、
あろうことか靖国神社に詣でた。
報告を受けた首相は稲田大臣を擁護する。
少なくとも非難、否定する素振りは示さなかった。
政治家安倍首相は
19,7,24「政府を代表して心からのお詫びを」とハンセン病患者代表の方らと面会した。
そして、翌25日にはまた早くも別荘でゴルフに興じてゐる。
この日の早朝には北朝鮮が2発の“ミサイル”を日本海に発射した。
「飛翔体は安全保障には影響がない」とした。
ゴルフが悪い、と云っているのではない。
しかし、少なくとも政府を、ないしは国家を代表してお詫びを申し上げるならば、
もう少し慎み深くあるべきではないのか。
政府の不作為は帝国憲法が出来て以降も、新憲法になってからも、
ずっと続いてゐる。
我々の歴史はずっと陸続きに続いているのであって、
戦争も含めて国家の巨大な暗黒は、
国家のインプリケーション“連累”、つまり事後の共犯、と云ふ概念で説明される。
我々の前の世代も、我々今の国民一人びとりも、そして極端には孫子に至るまで、
誰かが生きづらかったとしたら、それは人権の問題であって、
それは国民全員が請け負わなければならないことであって、
その代表者が国家であるならば、国家は静謐の中にあり、
いつも真摯で誠実な態度でなければならない。
ハンセン病“癩”隔離政策───
1915男性患者に対する断種手術が始まる。
1931癩予防法制定。すべての患者が隔離の対象に。
戦中に定められた「国民優生法」は障害者の不妊手術の強制力を強めたもの。
1947加藤シズエ衆院議員が「(修正)国民優生法」を提出。
戦中の“産めよ増やせよ”の風潮から女性の権利を守る立場へ、中絶を認めるなどした。
当時は食糧難と、人口問題が喫緊の問題であり産児制限を是とする議員も混在した。
1948「旧優生保護法」法制定後、強制手術数を伸ばそうとする動きが強まる。
優生保護法によって、ハンセン病患者に対する優生手術が認められる。
1953戦前の「癩予防法」は国会決議によって新たに「(新)らい予防法」として制定され、
強制隔離継続が決まる。
1996「らい予防法」が廃止。
1998強制隔離政策を廻り、元患者13人が国を相手に提訴。
2001熊本地裁が国の隔離政策を違憲とする判決。
国は控訴せず、判決が確定。
2003熊本の黒川温泉のホテルで宿泊拒否事件が起きる。
しいて云へば国家の暴力の類の問題は今に累々としてゐる。
1954,3,1「第五福竜丸」
1956,5,1水俣病公式確認
1968,3,9“イタイイタイ病”
1986,11「反日」阪神支局事件と“指紋押捺”問題
1997「北海道旧土人法」廃止
1977新潟市、横田めぐみさん(13歳)が中学校からの帰宅途中に拉致される。
そして、今日、今でも日本国憲法よりも上にある地位協定。
沖縄基地問題である。
1976「いたみつつなほ優しくも人ら住むゆうな咲く島の坂のぼりゆく」
皇后御歌(歌会始御題「坂」)
1975,7,18沖縄愛楽園オオハマボウご訪問
───慎み深く、真摯で誠実であること。
倉石智證









