GDPがそんなに増えずに労働力人口が、それも高齢者ばかりが増えていると云ふことは、
日本はものすごい勢いで貧乏になってゐることと、急激な生産性の低下を示してゐる。
汝明るくせよ、と云ふ。
しかし、いくら何でもこれでは明るくなりやうがないではないか。
定年はなしと云ふ。70歳以降も働けと云ふ。
男子の健康寿命は71歳だ。免許の返納も間近になる。
夫婦で旅行に出掛けようと思っていたのに、
では一体いつあなたの「今」を生きることが出来るのか。
働けと云ふ。定年はないぞと云ふ。
おまけに夫婦(妻60歳、夫65歳)の年金生活者が30年暮らすとして、
95歳までに2,000万円ほど足りなくなると云ふのだ。
しかしこれは年金生活者においてのケースであって、
ではさらにおびただしい無年金者の老後は一体どうなるんだらう。
今では年200万円の所得人口が4分の1にもなると云ふ。
(貯蓄 - 投資)Ⓐ民間───
Ⓐを明るくせよと云ふ。
しかし、戦後復興期にはⒶは明るくてエネルギーに満ちていた。
戦後一時期団塊の世代は1学年240万にも上がる。
待機児童どころではなかった。
それでも母親は子供を負ぶって仕事をし、
また三世代の暮らしの中で、たしかにお婆さんの役割も機能したのかもしれない。
Ⓐははつらつとした旺盛な労働力人口、何が何でも生き抜かなければと云ふ暗黙知。
Ⓐは世銀からの融資(資本)、
Ⓐは松永安左エ門などのエネルギー「九電力改革」、
世銀からの融資は、ダム、新幹線、東名高速道、首都高などに配分され、
それは東京オリンピックまで続いた。
Ⓑの「傾斜生産」は吉田内閣のもと戦後すぐに始められた。
優秀な学者が理論を導き出し、優秀な官僚が補佐した。
Ⓑは「新円切り替え」を行い巷のインフレと、
1949のドッジラインで政府による悪質なインフレ財政を断ち切った。
シャウプ勧告によって、直接税中心の税制が整った。
Ⓑには日本生産性本部が置かれ、
1950,6から朝鮮戦争勃発、朝鮮特需も後押し、
1956「もはや戦後ではない」と経済白書は戦後復興の終了を宣言した。
1956,12,12「日ソ共同宣言」があって、その直後
12,18日本は国連に加盟した。
日本がサンフランシスコ条約を結んだのは1951,9,8のことである。
吉田首相は片務的日米安保条約に調印し、世銀に加盟する。
西側世界の一員として世界と結ばれることになった。
Ⓑが旗を振り、税制と金融を、傾斜生産や、生産性本部など目配りし、
Ⓐが電力などエネルギー改革を進めながら、
石炭、鉄鋼、造船、繊維など、内需、外需ともに生産力を上げていった。
外貨持ち出しフリーはオリンピック以降になるが、
安全な資本コストと安価な労働コストが結びついて、輸出圧力は高まるばかり、
Ⓒ経常収支は黒字が連続し、
日本がIMF8条国に移行したのはオリンピックの時期である。
池田勇人はシャウプの時の大蔵大臣である。
池田内閣のオリンピックまでのインフラも含めて、
日本は戦後財政の基礎を、確立できたとされてゐる。
汝明るくせよと云ふ。
Ⓐでは生産年齢人口が確保され、それらが旺盛であることと健康であることが望まれる。
事件が続発したり、災害が連続したりすると、生産性への影響は大だ。
Ⓑには何にしても政府の効率と誠実さと覚悟のほどが求められる。
終戦直後の一時期、ふんどし一丁にヘッドランプで炭鉱に入った大臣がゐた。
吉田茂が一人で安保条約を結ぶ時、後世に対してのものすごい責任を感じたと云ふことだ。
誠実なあまり、浅沼稲次郎は暴漢に壇上で刺殺されてしまった。
池田勇人はライバル稲次郎を激しく熱情的に追悼する。
1980年代後半から、90年代初頭にかけて政権内にマネースキャンダルが魍魎する。
中選挙区から小選挙区・比例代表制と、政治資金法が改正された。
長い平成の失われし時のトンネルは、政治の在り様が生み出したものだ。
いつも中核に小沢一郎なる人物がいて、
政党と派閥と、自民党のえげつないまでの不毛な権力争い、
政策と云へば内なる自国の都合のことばかりで、そして合従連衡が繰り返された。
外ではグローバル経済が始まり、韓国、台湾、香港、シンガポールなどが雁行し、
日本の電機産業は米国との貿易摩擦の防戦の間に、
一気にそのマーケットを抑えられてしまった。
冷戦終了とアジアでは民主化運動も一巡し、
外ではグローバルマーケットに対して号砲が鳴らされているのに、
政治の内向きなエネルギーが、民間までも巻き込んで、
バブルのバランスシート毀損の後遺症もあったが、日本の生産性は一気に落ち込んでゆく。
株価最高値=38,915円は1989年の暮れ。
1990,3,27橋本大蔵大臣が不動産向け融資の「総量規制」を通達した。
そして、その通りにバブルは一気に破裂した。
“乾いた薪の上”とまで炭鉱のカナリアをした三重野日銀総裁は、
その割には一気に金利を引き下げてゆくことはなかった。
1997,7,2タイバーツの下落がきっかけでアジアンショックが、国内では、
1997,11に入って三洋証券が、ついで山一證券の破綻が伝えられた。
金融危機のドミノ倒しが日本で続いていった。
Ⓑの政治の貧困とは何なのだらうか。
誠実さに欠け、優先順位を誤り、世界に対しての洞察に欠け、
怯懦で、そしてサラリーマン的であること。
Ⓑの効率の悪さは、派閥、内紛、党議拘束、参議院の存在、などなどだ。
バブルがはじけてゐの一番に政府が手を付けなければならなかったのが、
バランスシート不況を素早く検証して、不良債権の処理、
そして信用創造システム毀損の修復のはずだった。
それをなにしろ「金融国会」にたどり着いたのが、
1998,7のことだったのだ。
公的資金投入が開始され、銀行再編が進んでゆく。
Ⓐ投資を呼び込めるか
Ⓑ政府が公正で効率的であるか
Ⓐ明るく元気
Ⓑ健全で効率的
世銀からの融資は、ダム、新幹線、東名高速道、首都高などに配分され、
それは東京オリンピックまで続いた。
それはインフラであると同時に日本のいたるところでの生産性の起爆剤になって行った。
市場の失敗はリーマン・ショックなどで世界は手痛い思いをしたが、
日本ではⒷ政府の失敗もあからさまだ。
“国家強靭化”と云っても箱モノであってはいけない。
まるでブツであってはいけない。
何か有機的でたえず外部を取り込んでつながり育ってゆくもののようでなければいけない。
東日本の防潮堤、あれはブツに過ぎない。
人の埋まらない高台は箱ものの延長だ。
早くも彼の豊洲市場も箱モノになる懸念が出てきた。
市場を道路が分断し、建物が上下に売り場を分断する。
地下に怪しい空洞がそのままに、一番近い銀座からも遠いとなる。
要は使い勝手の悪さがあからさまになったのだ。
市場は世界でも“メルカド”、エンターテインメントが渦巻いているほどでなければ詰まらない。
ついで、東京オリンピックだ。
1964をよく検証したらいい。
池田勇人はオリンピックをしたのではなく、インフラと、生産性のことをしたのだ。
生産性の概念が欠けた今回のオリンピックは、オリンピックスタジアムをはじめ、
後、箱モノにならなければいいと懸念する。
現今で一番内向きのエネルギーとは「憲法改正」のことである。
憲法改正などやっている場合ではない。
9条に加憲など日本の生産性とは全く無関係、へのツッパリにもならない。
いま日本に必要なのは一に二にも生産性あるのみなのだ。
明治の憲法はいろいろな法律も作ったが、
士農工商を無くし、移動の自由や、職業選択の自由、
徴兵が始まるが、私有財産を保障した。
小学校から、ナンバースクール、帝大まで、
そして、さらにポイントなのは幼年学校、師範学校など、
恵まれない子供たちにも学びのレールを並行させたことだ。
鉄道が全国の津々浦々にまで伸びてゆく。
故郷に錦を飾る、と云ふことが若者たちに夢と勇気を与えた。
明治は明治なりの偉大な生産革命が憲法の土台に仕込まれていた。
倉石智證
