そしてドクターの前に並ぶ時間がやってきた
風船のことだが
あなたは青い色がいいと云ふが
わたしは赤い色でもいいと思っている
優しくならなければいけないと思っている
そして次々とドクターはわたしたちを呼んだ
思いがけないことだが、
そしてそれを考えると胸が痛む
痛くしないからと
とても痛くないからと云ふから後ろに並んだものだが
長い列がくねくねとずーっと教室の方まで続いて
みんな怖々と誰やらの背中から覗いて
いまかまだかと自分の順番の来るのを待っている
ドクターはとても落ち着いた風で
わたしは赤い色でもいいと思ふが
あなたは黄色や青色の方が好きだと云ひ
そんな風に天井には色とりどりの風船が
いっぱいいっぱいふわふわし
でもみんな騒ぎ出すと云ふ風でもなく
きわめてお行儀よく
みんな誰かさんの後ろに隠れるやうにして
自分の順番を待っている
そして廊下を曲がるたびに
懐かしい教室があったり
懐かしい顔が授業を真剣に受けたりしているのだが
いつしか自分の顔がどんどん老人になってゆくのに気が付かない
痛くしないから…
ふうん、そんなもんかと
もういきなりドクターの前に立たされた
お元気でしたか
と聞かれたので
勢いよく「はい」と答えたら
もうその時はチクっと針が刺さって
ほんたうだ、少しも痛いことはない
と思った瞬間
風船がパチンと爆ぜた
わたしが私に消滅した跡に
少しばかりの涙ほどの水痕が残ったか
たしかになにしろアッと云う間の出来事だったので
ドクターのにこやかな顔さへ思い出せないほどだ
痛くないからと
長い廊下をまるで校庭の方まで曲がりくねって
騒ぎ立てるというほどのこともなく
みんな従順におとなしく
そして次々とドクターの前から
プチンとかパチンとか爆ぜて消えていった
少しも痛いことなんかないと、
アッと云ふ間のことだよと
赤い風船とか、青い風船とか、
少しは胸が痛むが
なにしろ死の作法ほど簡単な物事はなく
わたしは水色の空の上から泳ぐやうにして
そんな景色を眺めている
倉石智證