/新宿やなにを探してボヘミアン風月堂とその界隈を
/老人のポケットに愛、Queen観て新宿通り直ぐ帰り来ぬ
/Qeen観て冬樹の芽吹きどこやらに
/息吐つくや元の木阿弥雪下ろし北の国ではまた雪継ぎぬ
/どこ行くのそこ行く人のハチ合はせ知らぬが仏ににんが四の五
/新宿や靴を並べてABCマートに信号青へと変わる
/ショップから熱い吐息が歩道にも手袋脱いで靴履け我が背
=女性が自分の夫・恋人・兄弟などを親しんでよぶ語
/落ちていく愛の観相ラプソディみなボヘミアンそれは青春
言葉は強くむなしいものだ。
言葉はすぐに迷い始める。
「Easy come easy go will you let me go」
気ままに生きてる僕を自由にしてくれる?
/ポップコーン開演までに後5分そぞろ寄り添う恋人たちよ
/善き人になれよと父に励まされハグして別る家あとにして
「Any way the wind blows…」rhapsodyラプソディ、
自由に生きるそれつらいこと
倉石智證
「Live Aid」は1985年に開催された。
1985は「プラザ合意」の年。
日本は米国から強引な“円高カード”を突き付けられた。
当時の大蔵大臣は余裕しゃくしゃくと云ふか傲慢な竹下登。
日本の経済はまさに乾いた薪の上に、とも危惧された。
「前川リポート」と共にやがて日本はバブル崩壊へと突き進んでゆく。
アフリカの飢餓に苦しむ人々を救うよう、
世界中の人たちに歌で呼びかけた世界同時中継のとてつもない巨大なロック・ライブ。
あらゆる才能者たちが集い歌い、その視聴者は世界で15億人にも及んだとも云われる。
1985はサッチャーの時代。
イギリスは英国病のさ中にあり、サッチャー首相は、
「揺りかごから墓場まで」、を明確に否定し、小さな政府を目指した。
1989,11,9ベルリンの壁が崩壊し、
1989,12,3「ヤルタ」から「マルタ」へ、
パパ・ブッシュとゴルバチョフの会談により冷戦は終結した。




