ぼくらはもうみんな壊れかけのラジオで

もう替えなど持ってゐない

朝のレッスン、壊れかけのラジオ

おばあちゃんには三つの食事前の儀式があって

それはおじいちゃんもやって来たことだ

アン、ドゥ、トロァ

リズムに乗ってイチ、ニィ、サン

みんなのお箸はちゃんと配れるかな

お前掛けは忘れずに出来ただらうか

そして三つめがいつも難題だ

「さぁみんなで頂きましょう」、

ってそれは朝食の準備をする妻が云ふことであって

それよりもおばあちゃん

昨日も云って一昨日も云って、先一昨日も云って

そこんとこだけは壊れかけのラジオ

でもおじいちゃんはちゃんといつも出来たね

七色のお薬をいつもテーブルの上、

右手の下に置いて食事を待ってゐたよ

あゝ、わたしに薬なんかあったっけ

って、忘れるんならもう病院には連れて行かないよ

云い聞かせても朝のドラマって本当にじゃまっ気だね

もうお茶碗を持ってお箸が止まったままになってゐる

 

ぼくらはみんなもう壊れかけのラジオで

アン、ドゥ、トロァ

ご飯ですよって、あれほど呼んだのに

もうちょうど食事時って云ふ時に

いつもどこかに行ってゐない

まだ下の作業場の方に行ってうろうろしてゐる

やっと現れたかと思ふとおトイレだって

あーあぁ、麺が伸びてしまうのに

みんなばーさんが席に着くのを待ってゐる

で、食事の儀式は出来たのかな

さあ、お箸は自分のだけではなく

私のも、みんなのも全員に

白いお喰いだれは大丈夫かな

あーあ、またテレビに夢中になってゐるね

横から話しかけるとうるさいわ

って云ふけれど

で、なんのニュースって聞くと

もうさっぱり覚えてなんかゐない

目の前の次へと現れる画面に興味津々なだけなんだ

わたしそんなの食べっこ(食べてない)

なんて云はないでよ

よそんちのお皿にお箸突っ込まないでよ

ほおっておくと柿の熟柿じゅくしをひとつ、

ペロッと食べてしまう

 

ぼくらはみんなもう壊れかけのラジオで

アン、ドゥ、トロァ

おかあさん、おかあさん、って

あんなに呼んでいるのに

まったく五時からばあさん

気が付くとまた畑に下りて草むしりをしてゐる

石を拾ってゐる

あこあこあこって云ふ

あそこまで仕上げたいと云ふのだ

妻が妣ははを呼ぶ声のあはれに

裏の木戸に出てそれは愛かなしい声で

昔の母を娘の声で呼ぶ

さあさあお風呂に入って下さい

さあさあ、パジャマを持って

それなのにもう百回も、千回も云ったのに

またおばあちゃんてばパジャマを持ったまま出て来る

まだきれいだからって、もったいないって

お漏らしした襁褓をそのままにまた穿かないの

脛の痒かやいのにお薬を自分で塗れるかな

まさかまたお休み前に

わたしお風呂頂いたっけ

なんて云はないでね

 

ぼくらはみんなもう壊れかけのラジオで

アン、ドゥ、トロァ

美味しかったよね今日も

妻の魔法の手で毎日が別のメニューがテーブルの上に

お旦那さんて幸せだねって

これこれ、さうぢゃなくてばーさんは

一緒にこうして食事が出来るのがばーさんの倖せなんだ

それなのに今食べたのなに、って聞くと

もう分らない

こんなに色とりどりに皿に盛りつけてあげたのに

もう一分も経たないうちにわからない

昨日からはいまお箸をつけてゐるものも

分からなくなった

覚えられんようになったね

わたしの脳は死んでいる

わたしはなんもで(き)んやうになった

蹌踉そうろうと立ち上がるばーさんは

ごちそうさまとそのまま寝所に行かうとする

だから、わたしは指でだめだめだめと伝える

なんでえ、とば様は不服顔でこちらを振り返るが

そのの落ちくぼんだ眼がどうしたらいいのかと彷徨う

おばあちゃん、咳が時たま出るやうになったね

誤嚥性肺炎が一番怖いんだよ

さあ、歯磨きを、

入れ歯を外してちゃんと磨かないとダメだよ

 

千回も万回も云っているのにね

そしてお休み前に

さあさあ、今日の仕上げだ

さあさあ、今日は何日になるのかな

朝からもう何十回も繰り返し云ってゐるけれどね

おばあちゃん、

せっかく頑張ってゐたんだから日記を付けようね

そしてほら、これが今日の新聞だよ

よっく見て、とカレンダーに指をさす

宇宙、銀河系、地球、大洋州日本、

山梨県南アルプス市2030、

深澤小夜子91歳

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凝っと眼を見る、

壁掛けのカレンダーを見る

ぼくらはそろそろみんな壊れかけのラジオ

空にお月さんが浮かんだ。

 

倉石智證