辛うじて紅空木が・・・

 

きみ知るや春ゼミの唱うた

寄せては返す潮騒のごと

春の終わりを知らせてくれる

径に行けば

わたしの前に後ろに

谷ゐ行く水音を打ち消して

春ゼミの何千と云ふ鳴き声が

林の梢の下に

森の奥深くから見知らぬ道筋をたどって

耳殻の奥に

まるで滴るが如くやって来る

 

あゝ、この交歓は切ないくらいうれしいものだ

ひたひたとわたしの胸の湖へとやって来る

が男を呼び

男が女を呼び交わす

透明な翅を震わせて

あゝ、ここかと思へば

またとほいあそこから

何千と云ふ春ゼミの声が

細い細い道筋に押し寄せて

そは灌木の緑を一気に濃くして

涼風が吹き渡り

みんなに初夏を知らせに

 

倉石智證