1989バブル崩壊前、竹下登内閣の消費税3%導入のころから

日本の企業重視の姿勢が露わになって行った。

所得税の累進性も弱められ、株式などの配当など、分離課税なども

資産を持っている階層には有利になった。

消費税の攻防がここから始まってゆく。

とくに消費税に於ける“逆進性”は格差社会をよりキックしてゆくことになる。

(

(2011,1,8日経)

中所得層が下方へずり落ちた。2011年正月の統計表である。

(2015,8/14日経)バブル崩壊。バランスシート不況。日本は貧乏になったから、共働き社会に。

(2015,11/2日経)

子どもの貧困率は悲惨である。これは日本の社会の脆弱性を表してゐる。

(2015,11/5朝日新聞)非正規率=ほぼ日本の低生産性を表してゐる。

(2016,1/6日経)貧乏人が増えた。

安倍首相が四六時中口にするところの国のTotなGDPが必要なのではない。

国民個人個人のテーブルの上のGDPが見つめられるべきだ。

(2016,2/4朝日新聞)35~44歳=つまり“就職氷河期”に当たる。

国の1学年がほぼ=120万人くらいのころであるから、その3年分以上。

これらの人口が無年金か→生活保護へとなだれ込んでゆくと懸念される。

(2016,4/18元財務官僚で東京財団上席研究員の森信茂樹さん(65)))

▲貯蓄ゼロ=1892万世帯

12年からの3年間で470万世帯増+非正規雇用4割(14年)

→給付付き税額控除の必要性も

(2016,6/5朝日新聞)世帯低所得人口下方に⤴

中間層が減り、低所得層が増えた。

介護保険や厚生年金の保険料率も上がり実質賃金⤵。

(2019,5/25朝日新聞)

貧乏になったので老人もみんな“働け”、と云ふことになった。

男子健康寿命=約71歳。平均寿命=約81歳。

気が付けば「免許返納」と云ふことになり、旅行や趣味などと云ってゐられないうちに、

アッと云ふ間にあちらの世界に足をさらわれることになる。

真面目にコツコツ働いて来て、さあ定年、夫婦で旅行でもと思ってゐたら・・・。

おそらく年間=200万円くらいの所得層が労働力人口の4割くらいになっているのではないか。

失業率が減ったと安倍首相は豪語していたが、国民全体の労働の質が落ちたに過ぎない。

労働の質が落ちたと云ふことは生産性が落ちたと云ふことで、

そこへ今回のコロナの猛チャージ。

「備えあれば、うれしいな」の逆バージョン、

暗澹たる奈落の底に落ちてゆく気分になる。

中間層の崩壊はますますポピュリズムの方へと人心の傾斜を露わにし露わ、

「今、そこ、わたしだけ」は民主主義を崩壊に導く。

黒川氏の話など、もってのほかのニュースである。

 

昔は企業は大企業でも運動会とか社員旅行とか、

或いは従業員の子供の教育資金にまで支援を致すなど、

家族一体型の経営が見られた。

交際費までふんだんに配られ、"呑みニュティ"は福利型コミュニティの相を為していた。

年功序列、終身雇用型雇用スタイルは、子供の成長、家屋の購入に至るまで、

個人個人の終身に於いて計画が立てやすい。

安心型の資金の借り入れは、右肩上がり経済成長にも資するところがあった。

 

1979『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ボーゲル)と輝かしく持ち上げられたものだが

しかし、大平正芳は蔵相時にオイルショックの後遺症もあって初めて赤字国債発行(1975)。

以後赤字国債発行は慢性化してゆく。

経済の自然的右肩上がりは息切れが明らかに、

国家予算は歳入欠陥が露わになっていたのだ。

そもそもは美濃部都政では老人医療が無料化(1969,12/1)されるなど、

そしてその高福祉スタイルは国政にも引き継がれ、

保守自民党田中角栄内閣の政権においてさへも

その内実は実際最高度の社会福祉国家だったと人口に膾炙かいしゃしてゐる。

1971のニクソンショックを引き金に、マネー自身が商品化されるなど、

経済は金融資本主義が本流になって行った。

企業のガバナンスはより効率的へと緩やかなゾル状から厳しいゲル状態と切り替わった。

 

1985「プラザ合意」円高ショックへと。

1986「男女雇用均等法」と「労働者派遣法」が施行される。

1989バブルは弾けた。

この年は昭和天皇、美空ひばり、カラヤン、手塚治虫が亡くなった年で、

6/4には「天安門事件」が、

11/9にはベルリンの壁が崩壊するなど、

まさに世界史の大転換の年でもあった。

 

日本はバブルが崩壊、

EUはこれから「マーストリヒト条約」へ

イギリスは「ポンドショック」。ソロスとの戦いに疲れ、

韓国、台湾、香港、シンガポールの雁行的発展はまだ緒に就いたばかり、

1992に彼の鄧小平の「南巡講話」があり、

深圳の特区はこれから目覚めてゆく。

いずれにせよこの米国のソ連との冷戦の勝利は、

これは民主主義の勝利とは広汎には云へず、米国の資本主義の勝利であることは明白で、

この「平和の配当」はクリントン政権米国に以後"120カ月"の単独繁栄をもたらす。

 

日本はバブルに弾け、バランスシート不況はぱっくり口を開けたまま、

政治は不作為のまま、宮沢内閣不信任以降、日本は細川内閣の成り立ちからして、

魑魅魍魎の党利党略、深謀遠慮の闘争は内向きのエネルギーへとバキュームされ、

不良債権は深刻に抛り出されたまま、ついに

1997,11三洋証券をはじめとする山一證券、北海道拓殖銀行などが経営破たんした。

1997は"アジアンショック"も追い打ちをかける。

金融に於ける信用システムが機能不全に陥って行ったのである。

1997はまた生産年齢人口(15歳から64歳)がピークをうった年でもあった。

 

民間企業はリストラを最優先し、非正規雇用が増大してゆく。

金融機関は債権回収に注力し、リスクを伴う融資は抑制せざるを得なくなった。

もう一度振り返ると1986に最初の「労働者派遣法」が施行された。

1996改正「労働者派遣法」では正社員に代替え出来ない専門性の高い業務を中心に、

対象業務は26に拡大。

1997は現金給与総額がピークになった年で、以後日本の家庭のGDPは急激にやせ細って行く。

■「赤線」は小泉政権下。2008は「リーマン・ショック」。2011は東日本大震災。

 

家庭は貧乏になり家庭内主婦も共働きに出ざるを得ない状況になって行った。

倒産、リストラ、非正規雇用の増大と、一方主婦らも労働市場へ借り出されてゆく。

非正規雇用者は企業の景気のおける"バッファー"、つまり調整弁となり、

企業はこの調整弁によって辛うじてこの頃の生産性を維持したとも云へる。

労働力人口の減少は主婦たちと高齢者が穴埋めし、失業率は下がって行ったが、

労働の質的低下と、ついで格差の常態化が始まった。

そして符牒を合わせるやうに民間では急激に自殺者が増えてゆく。

1999さらに「労働者派遣法」は改正され、派遣業種を原則自由化し、26業種以外にも可能に。

政令26業種は3年、新しく追加されたものは最長1年の期間制限が設けられた。

2013年4月の改正労働契約法の施行により導入された5年継続「無期転換ルール」