紫陽花が毬を結んで行き、

でで虫はその歩みを時に委ねる。

わたしも木下闇をゆけば、

万物斉家───

先人たちの深い想ひをまた知る。

ヘルマン・ホイヴェルス神父(上智大学第2代学長も)

1969『人生の秋に』(春秋社)

 

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。

 

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行くために--。

 

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、

真にえらい仕事--。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

それは祈りだ--。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。

 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。

 

倉石智證

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り

失望しそうな時に希望し

・・・

なんだか今のコロナの時代にぴったりなのかなぁ。