なからん、なからん
故人なからん
知っている限りの花の名前を云ひ連ねても
もう今年は去年ではない
ぶだうの棚下にぶだうの花が
勢い余るやうにちりちりと咲き初めて行って
棚下に収まるどころか
屋敷の厨辺まで匂ひ立って来る
あゝ、それこそはみんな生きてゐる
なからんなからん故人なからん
時は周りに少しも待ってくれることもなく
妻の周りはいよいよ忙しくなる
あゝ、あちらにも芽が出たよと云へば
朝は水遣りにゆく
いたいけなものたちが
かうしてあっちにもこっちにも妻を呼び立てて
亡くなったものたちのたましひまでもが
くすくすと笑ひ潜めながら
畑地を走り回ってゐる
なにしろ祖霊たちだもの
時は命に罔くらし
夕餉になればまず呼びたまへよ僕を
而しかうして尽くせいっぱいの酒を
あゝ、まるで
それだから我に酔ゑふて
なからんなからん
故人なからん
倉石智證
ぼくの場合の「故人」は文字通りに亡くなった人達───
有名な中国の唐の時代の詩を二つ。
王維は761,8没。
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
この場合の故人は「友達」のこと。
「もういっぱいの酒を飲もうではないか」。
「サヨナラダケガ人生ダ」───
于武陵(うぶりょう)835年頃に進士となったが、官界の生活に望みを絶ち、
書物と琴を抱いて、放浪の旅に出る。
勧君金屈巵(きんくっし)
満酌不須辞(辞するを須いず)
花発(花発らけば)多風雨
人生足別離(別離多し)
飲も、呑む、のもー、
と云ふわけである。
井伏鱒二の伝説のやうな名訳に付け加えれば、
彼の寺山修司は
「さよならだけが人生ならばそんな人生要りません」
となむ。





