ぼくはそれをなにか尊いものに感じる
ぼくはそれらの日々をなにかうれしいもののやうに感じる
ぼくのすぐそばの隣人に図書館に行って
もうこんな本に心奪われていた友人がいたことに
驚いて、実はただ呆れるばかりだ
学問をするのではなく、もっと前に感じること
それこそよく見聞きし理解すること
もっと世界に下りてゆくこと
ぼくはそれらのことを今ごろになって知って
わッと駆け出したくなった
「本を閉じた時、夜の暗さを感じたのを覚えてゐる」
だなんていいね
Oさんて云ふんだ
ほんたうにああ云ふ人を善き人と云って
一人でもさう云ふ友達がゐたとして
ほんたうになにかつながっているやうな気がして
ほんたうに今に知り合えてよかった
倉石智證
高校2年の前年に、つまり1963年に黒部ダムが完成してゐる。
1964は東京オリンピックの年である。
世界中の青空を集めて、戦後復興を謳い、誇らしやかに開場された。
今期のオリンピックとは違い、
この時のオリンピックはその陰でものすごい生産性革命が同時に押し進められていたのである。
井沢八郎が「ああ上野駅」を歌った。
今の「働き方革命」などと云ふものではなく、"集団就職"は金の卵を陸続と都市や、
産業ベルト地帯に送り続けた。
一本の稲がおよそ100粒弱くらいの生産性から、それこそ都市のサラリーマンで
月給が3万円を超えるほどの生産性へと押し上げられたのである。
傾斜生産をさらに推し進めたのは有沢広巳などのかってのマルクス経済学者の理論である。
下村治が肉付けし、池田勇人内閣が実際化した。
都留重人はインフレを恐れ、成長より格差を無くすべきだと主張したのに対して、
下村治らは強力なケインズ主義によって、つまりトリクルダウン、マネーは下部に行き渡り、
インフレになる前に需要と供給が同時に増大することによってインフレには行き着かないと理論した。
大企業、中小企業の産業の二重構造も指摘されたが、強力な生産性革命により、
それらも改革され、「所得倍増」はオリンピックが過ぎたころには確実になってゐたのである。
三井三池闘争が前年の1963にあった。
「総資本と総労働」の戦いと云われたが事実は日本が石炭から石油へと転換していった、
エネルギー革命の側面があった。
総労働を理論付け、労働者をピケに走らせたのが向坂逸郎で
彼の共産主義イデオロギーに対して、社会党の江田三郎は社会福祉路線で対抗した。
1964に日本は「IMF8条国」に加入し、資本の自由化も始まった。
つまり、このころの生産性革命は「労働革命」と「エネルギー革命」と「マネー資本革命」が
同時進行していたことになる。
高度経済成長はいたるところにフロンティアして行った。
もちろん政治の季節は1960の安保闘争から始まってゐた。
1964,6中国では紅衛兵が猖獗し、「造反有理」、文化革命が荒れ狂い始めた。
1964,8/2トンキン湾事件が仕組まれた。アメリカは北爆を開始、米国は泥沼のベトナム戦争へと突入してゆく。
1964,10/16中国が日本のオリンピックのかたわら、初の核実験を行った。
オリンピックには「プラハの春」のベラ・チャフラフスカが参加してゐる。
開高健はベトナムに従軍取材───。
「石器時代に帰してやる」と北爆を指揮したのはあの「東京大空襲」を指揮したカーチス・ルメイであった。
そして不思議な事である。
1964,12,7カーチス・ルメイ勲一等旭日大綬章を入間基地で浦茂航空幕僚長から授与された。
第1次佐藤内閣の閣議で決定された。
■「軍隊による安全」→「軍隊からの安全」を意識しない国に再び。
外交防衛政策を軍によって規定される。(半藤一利15,9,19朝日新聞)
1964,3「太った豚よりも痩せたソクラテスになれ」
東京大学の総長大河内一男は卒業式の告辞でさう述べた。
1964一方で闌たけりゆく青春が熾火のやうに盛っていたのに、
片方でぼくなんか受験勉強にかまけていたわけだ
Oさんは教育学者、大東文化大学の学長になられた。
ついでながら───
「ラオスに200万㌧の爆撃を」
今に至る、"アメリカの世界秩序"なんて信じてはいけません。
加担なんかしてはいけません。




