「ごめんね」
とすれば
後ろを振り返り振り返り
長い長い航跡の
間違いではなかったものの
短い夏の
庭先にコスモスが色とりどりに揺れる
とすれば
庭先のデッキ椅子に躰をもたせ
とすれば
大きい犬が尻尾をゆすって駆け寄って来るのだ
身に余るほどの大きな影が覆いかぶさって来る
幾たびか茶色の戦争ありまして───
わたしはサハリンにゐて
わたしは次第に祖国の言葉を忘れさうになる
買い物に行っても
通りを歩いても日本語なんてないんだもの
犬に言葉を掛ける
揺れるコスモスに話しかける
多くの日本人妻が朝鮮に渡って行った
子供たちを残したまま
夫は酒に酔うとわたしを殴るばかりだ
そんな風にして後ろ髪引かれる思いのまま年が経ち
キムチ臭くなって
どうしやうもなく愛が生まれた
「アンニョンハセヨ」
こちらでは槿むくげの花が咲く
みんなみんな涙で滲むね
海の向かうにもこちらにも離れ離れになって
心の中もあっちに往ったりこっちに来たりして
国なんてとっても当てにならない
犬に声を掛けると大きく尻尾をゆすって駆け寄って来る
日本語が分かるんだ
わたしはいま
日本人でもなければ、
ロシア人でもなければ、
朝鮮人でもない。
わたしはどこの国の誰でもないんだ
そのことを「スパシーバ」
よく来てくれましたね
倉石智證
終戦時サハリンには約40万人の日本人がいた。
1945,8/9ソ連軍が満州に進攻して来た。
サハリンでも数万人の男たちがシベリアへ連れ去られた。
強制労働も含めて徴用された朝鮮人が数万人。
生き残るために年端もいかない娘たちがやはり数万人の単位で朝鮮人の方と結婚した。
日本の政府はこれらの人たちの内地への引き上げに積極的でない。
戦勝国の朝鮮へ夫とともに渡る若い妻たちもたくさんいた。
ソビエト政府はサハリンで生まれた子供たちの渡航を禁じた。
ロシア人と結婚したある日本人妻は夫と共に北海道に渡り、現在そこに暮らしている。
子供たちは老夫婦をみるために時々サハリンから海を渡って来る。
若い妻たちも今ではたいてい90歳を前に年老いている。
棄民、である。
国家も、軍隊も、究極に於いて国民を守ってはくれなかった。
茶色い戦争は、いまに続いてゐる───。
