■17,10,2朝日新聞

アルビルで9月22日に開かれた独立賛成派の集会でフェンスに登り、

KRGの旗を振る参加者=いずれも杉本康弘撮影

 

勝利を我らに

頼むよ、光射す空よ

ここに上れば、眩しすぎると云ふことはない

ペシュメルガ

誇り高き戦士たちよ

死の縁を覗く者たち

 

《刑務所が満員になるまで 敵は懲罰と拷問をやめない》

《若きクルド人よ 立ち上がれ クルドの名を血で書きとめよ》

唄い手は歌うのを止めない

 

小鳥たちが囀る前の朝を待とう

朝食前の出来事を忘れる

すぐにでも出掛けられるやうに

私たちは地に跪き

短い祈りを神に捧げるのだ

 

ペシュメルガ、落ちくぼんだ眼窩は時の裏側に滑り込む

銅寂びた風が吹き

アラブの流浪の民よ

涙と血は流されそれは渇いた空に大地に吸はれ

裏切者たちは平気であそこにゐる

まるで清潔な衣装に身を包み

まるで何もなかったかのやうに

だから私たちは告発し続けるのだ

暗い、湿った穴倉潜んでいるものたちよ

黴臭い歴史の証人たち

しかし、それにしても

まったく今となったらさらにどのくらいの血が流されたらいいのだ

 

私は家と云ふ家の玄関に立つ

銃を構える

旗を掲げよ

高い塔に上れ

さあ、私が永遠の勝者でいるため

いま光が、

わたしを劈つんざ

 

倉石智證

1920,8,10「セーヴル条約」戦争で負けたトルコスルタンとの間でトルコ帝国の解体が決まった。

セーブル条約ではクルド人自治区の設置が謳われていたが、

その後あらたに結ばれたローザンヌ条約で無効となり、

居住の領域がイラク、トルコ、イラン、シリアの国境で分断されたクルド人の問題が

引き起こされることとなった。

 

先立つ───

1916,5,16「サイクス・ピコ密約」英仏により中東分割の密約が交わされた。

1917,11,2「バルフォア宣言」イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、

イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵

ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された。

イギリス政府のシオニズム支持表明。

イスラエルの建国へ。

今に至る"中東の不安な孤"。

映画「アラビアのロレンス」。

当時のイギリスの植民地相は後の首相チャーチルであった。

 

1923,7,24「ローザンヌ条約」(アンカラのケマル・アタチュルク首班と)

この条約により、トルコ共和国がオスマン帝国に代わる主権国家として

国際的に認知されるようになった。

 

1946,12束の間にクルド独立共和国カズィ・ムハマンド大統領が処刑される。

第1次大戦後の「英仏ロ」の交渉でクルド人居住地の真中に国境線を引かれ、

トルコやイラク、イラン、シリアなどに分割された。

 

ぼくにはこれらの当時の責任国が、いま沈黙してゐることがさっぱり分からない・・・・・・。